ピルツジャパンのブログ「月刊 裏ピルツ新聞」

2017年12月20日更新編集後記<3名合作特別版>

編集後記(杉原)

今年もあっと言う間に一年が過ぎ去ってしまいました。先日の読者アンケートで、みなさんから励ましのお言葉をいただき編集部一同ありがたく思っております。

さて、話は変わりますが、このシーズン、私にとって気になるのは年明けのセンター試験です。(高校3年の息子がいるもので…)読者の多くのみなさんは過去にご経験されているのではないかと思いますが、私は日本で大学受験をしたことがなく、未知の世界です。同級生が「共通一次」(もやは死語ですね)まであと何日と言う日めくりカレンダーを教室でめくっている時も、他人事でしたが、今その大変さを実感しています。偏差値、順位、圏内、判定、その言葉一つ一つに大きな意味があり、遠い昔クラスメートが自習中の教室や図書館で、そんな言葉をつぶやいていたことを思い出します。あの時、みんなそんな思いをしていたのですね。

ほぼ毎週のようにある模試の結果に一喜一憂してはいけないと思いながらも、判定を見て「大丈夫だろうか?」という思いが募ります。しかし、どんな結果が出ても最後まで志望校を変えることもなく果敢に挑戦する(おそらく)息子を褒めてやろうと思っています。私ならこの判定で絶対に受けることはないからです。

私なら、と言いましたが、「今の私なら」が正しいかもしれません。私もそう言えば、大学のとき、ピアノ科のオーディションに3回チャレンジしました。もともと音楽専攻で入った訳ではない上、周りの楽器専攻の学生は幼少の頃からピアノやバイオリンを習っていた人ばかり。19まで正式にピアノを習ったこともなかった私がそんなことにチャレンジするのは今から考えれば無謀だったかもしれません。初回は頭の中が真っ白になりバッハの音符が記憶からすべて消えてしまい、散々な結果でした。2回目はほぼ完璧と自分でも思えるほどの演奏ができたのに、楽曲の難易度がピアノ科としてはふさわしくない(要するにショパンのエチュードなどではなかった)という学部長の鶴の一声でまたもや不合格。2度とも寮の部屋に戻って大泣きしました。そこでやめようか、と何度も思いましたが、3度目の正直で合格させていただいた時の喜び(というか驚き)は言葉には言い尽くせません。

年齢を重ねるに連れて、チャレンジ精神が薄れていることに気づかされます。若い時はもっと怖いもの知らずで、無理と思えることにも挑戦できたのに、今はつい失敗を恐れて尻込みしてしまいます。

思えば、このブログも最初は未知の世界でした。しかし、やってみて多くの発見や学びがありました。読者のみなさんの「読んでいます」、「面白かったです」、と言う声に励まされ、ここまで続けて来られたことを心より感謝します。みなさま、来年も裏ピルツ新聞をよろしくお願いします。そしてよいお年をお迎えください。(すぎはら)

 

編集後記(岩永)

いつもの12月は「寒い」とはいえ、まだまだ余裕という感じがしていました。ところが今年はイキナリ冬本番といいますか、特に朝の冷え込み具合はまさに真冬です。ピルツジャパンの本社がある横浜市港北区は私の地元でもあり、いまも住んでいるため、ここでの気候や季節の移り変わりが自分の中での標準となっています。

12月は寒さそこそこに、お正月は晴天に恵まれ、なぜか成人の日は数年に一度雪、そして真冬が到来し、飽きるくらいに寒さは続く…、それが私の冬のお天気イメージです。寒さは苦手なので、3月上旬には限界がきます。そんな私ですが、過去に、冬は降りしきる雪に囲まれる土地に住んだことがありまして、この時期になると毎年、そこでの経験や風景が懐かしく思い出されます。

以前の編集後記の中で、アメリカで働いた時の経験を書かせていただきました。それはアメリカのインディアナ州というところでの経験でした。その前には、その東隣にある、オハイオ州の方で留学をしたのですが、そのどちらの州でも冬にはたくさんの雪が降りました。(ミネソタ州などの豪雪地帯ほどすごくはないですが。)

インディアナの方は、町沿いに川が流れていて、小さな湖も点在し、多少なり湿気がありましたが、オハイオのほうは乾燥が激しく、そこでの雪はサラサラのパウダースノーでした。天気の良い日には、風で舞い上がった雪がダイアモンドダストとなり、空中をキラキラと舞います。土地柄上あまり晴れ間がなかったので、見た回数は少なかったですが、それはとてもキレイで感動したのを覚えています。

歩道のアスファルトは、パッと見では分からないくらいに表面は薄く凍り、慎重に歩いてもツルツルと足を取られます。スノーブーツを履けば大分マシになりましたが、そのようなものは最初知らなかったので、なんども危ない思いをしながら大学まで通っていました。今思い出しましたが、友人たちとのサッカーで足の親指を骨折した時には、松葉づえで雪の上をザクザクと歩き、教室に向かいました。よくやったなぁ、と我ながら思います。

(大学のキャンパス)

自分の吐く息がまつげを凍らしたり、ちょっとゴミ出しするだけだから、と濡れた髪のままアパートの外に出たら、あっという間に髪の毛が凍ったり。部屋の暖房を止めて旅行に出かけてしまった時には、水道管の水が凍ってしまい、帰宅後には溶けるまで何時間も熱湯しか出てこないというイタイ思いもしました。寒い所での暮らしに慣れている人には当たり前のことも、私には知らないことばかりでした。

向こうの住居は、隅々まで暖房が行き届き(床のあちこちに通気口があり)、寒いと感じる箇所はありません。廊下やお風呂場がキーンと冷えてしまう、こちらの今の家とは大違いです。いまだに向こうの暖房システムが恋しくて仕方ありません。

車も、エンジンのためと、フロントガラスの雪を溶かすためにも十分温めるので、寒い思いはしませんし、真冬なのにTシャツ姿、という人はしょっちゅう見かけました。私は長袖着ましたけど、移動時にジャケット羽織るだけで、年中Tシャツとジーンズ、って人は少なくなかったと思います。春秋ファッションや、衣替えなどとは無縁の、シンプルでとても楽チンな世界でした。

(出社前)
(出社後)
(当時の職場からの景色)

そういえば、日本の雪だるまは、雪の玉2個でつくるのが一般的だと思いますが、アメリカの雪だるまは、雪の玉を3個重ねて作るんですよ。鼻はニンジンで。当時は面白い発見だったのですけれど、大ヒットした某ディズニー映画でも見かけますし、今では珍しくないかもしれませんね。

あの時に経験した冬は、今振り返ってみても面白く、貴重な思い出です。何よりも、あの白い世界の独特な雰囲気といいますか、町中が深々と降りしきる雪で覆われ、それはそれは静かで、自分がスノードームの中に入ってしまったかのような感覚は、ずっと忘れないと思います。

特にクリスマス時期の、どこか厳かで、まるでみんなが心からミラクルを信じているかのような、でも一年で一番特別なイベントへのワクワクと嬉しさが溢れている感じは、日本で見る賑やかしく商業的なクリスマスからは感じたことのない美しさでした。(そのあと1月末までクリスマスデコレーションが出され続ける景色には付いていけませんでしたけれど…)

皆さまの冬は、どのような冬でしょうか? それぞれの冬が、素敵なものとなりますように。
どうぞ良い年を迎えください。来年も、どうぞ宜しくお願いいたします。(いわなが)

 

編集後記(川久保)

「サンタクロースって、いるの?」子供からそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?

ちょうど120年前、バージニア・オハンロンという当時8歳の女の子がニューヨーク・サン新聞社にこの質問を送りました。いわく「私のともだちに『サンタクロースなんて、いないんだ』と言っている子がいるけど、本当なの?とパパに訊いてみました。そうしたらパパは『サン新聞社に問い合わせてみてごらん。新聞社がいるというなら、それは確かにいるんだろう』といいました。ですから、お願いです。おしえてください。サンタクロースって、ほんとうにいるんでしょうか?」と。

この永遠のテーマに対して、サン新聞は読者投書欄で紹介するのではなく、なんと社説で答えることにしたのです。そして、その答えは見事というしかないものでした。

もしあなたが、同じ質問をぶつけられたとき、どう答えますか?私のように、言いよどんだ挙句適当なことを言ってごまかすか、あるいは「いるかもしれないねえ」とその場を切り上げようとするか。サン新聞社はそのどちらでもなく、8歳の少女の直球質問に逃げることなく真正面から受け止めたのです

その内容は、偕成社刊「サンタクロースっているんでしょうか?」に描かれていますので、興味のある方はぜひお手に取ってご覧ください。と、言っておきながらあえて少しだけご紹介すると・・・

「バージニア。サンタクロースはいない、というあなたのおともだちは、まちがっています。」

「その子はおそらく、いまはやりの『うたぐりや根性』というものがしみついてしまっているのでしょう。」

「『うたぐりや』は、目に見えるものしか信じません。」

「サンタクロースを見た人は、いません。でもそれは、サンタクロースがいない、という証明にはならないのです。」

「この世で本当に大切なもの、それはこどもの目にも、おとなの目にも、決してみえないものなのです。」

私が親にプレゼントされたこの本を読んだのは、中学生の頃だったと思います。その時の私は「こんなの詭弁じゃん」と、取り合わなかったことを覚えています。若いころは、実際に見聞きするものさえ限られているくせに、それだけで世界を知ったような気になるものです。やがて年を取ると、自分の無知や無経験をいやというほど思い知らされることで、世界の広さも人生の深さも究めることなどできない無力を自覚するようになり、「丸くなる」わけです。

子供の頃は無限の未来が拡がっていると信じていたのに、たかだか数十年の人生で、実際に体験できることなんて本当に限られていると思うようになります。子供たちのキラキラした瞳の輝きは、あなたもかつて宿していたものです。その頃の自分がうらやましいとしたら、それはまさに「うたぐりや根性」がしみついてしまったせいかもしれません。この社説は子供に宛てて書かれたものですが、その行間にはむしろ経験を積み重ねてきた大人だからこそ理解できる真理が穿たれています。

なお、拙宅は賃貸マンションで、暖炉はおろか煙突もなく、窓際は散らかり放題。サンタがつけ入る物理的な隙は微塵もありませんが、去年もサンタは来ましたし、今年も来年もサンタはやってくるのです(キリッ)。でもおかしいな、何で俺にはサンタ来ないんだろ・・・(かわくぼ)

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