ピルツジャパンのブログ「月刊 裏ピルツ新聞」

2018年2月21日更新Mac中毒(その1)

私のPC歴は30年ほどですが、自慢するほどの知識も経験もありません。使い始めた頃のPCは、当時のご多分に漏れずNECのPC-9801シリーズで、父親が大切に使っていたデスクトップマシンでゲームをするくらいでした。当時PCはマイクロソフトのMS-DOSというOSで動いており、しかもHDD搭載のPCなどほとんど存在しなかったため、まずフロッピーディスクをスロットに差し込んでシステムを読み込ませ、システムが立ち上がったらアプリケーションソフトのフロッピーに入れ替えて仕事やゲームをする、という儀式を経なければ何もできませんでした。使っていたのはPC-9801Fという製品で、CPUはクロック5MHzの8086、ROMが96KB(漢字対応!が売りでした)でRAMも128KBという今や信じられないほどのローパフォーマンスですが、当時はこれでもディスプレイと合わせて50~60万円はしたはずです。ソフトも凄まじく高価で、ワープロソフトでほぼ独占的地位を確立していた一太郎は15,000円、表計算ソフトのベストセラーだったLotus 1-2-3は実に98,000円もしました。30年以上前ですので、現在の値段に換算するとおそらく20万円を遥かに超える値段になるでしょう。当時のパソコンは物凄く高い道具で、仕事以外で使っている人はほとんどいませんでした。今でもコアなマニアは自作PCを使いますが、当時の完成品など高くてとても買えない人たちが苦肉の策でマザーボードやらCPUやらファンやらを選んで組み立て、少しでも安く作ろうとしていたのだと思います。とにかく、全然「パーソナル」ではありませんでしたが、それでもDECのVAXやらIBMのAS/400やらの「ミニコン」と比べればはるかにコンパクトで、日本語での操作が普通に可能(←これ自体が画期的だったんです!)であり開発もはるかに楽だったことから、オフィスにPCを!の動きはちょうど30年前ころから加速していました。(いや、パソコンなら日立のベーシックマスターやシャープのMZだって忘れてくれるな!という方々の声ももちろん聞こえていますよ、いますけどこのテの話は本当にキリがないので次の機会に・・・)

私は当時も今もパソコンマニアではなく、あくまでもいちユーザーです。(なので、ここに書いている内容も専門家から見れば間違ってるぞお前的な内容がたくさんあると思います。)そんな私も、かつてBASICはもちろんかつてFORTRANやアセンブラでプログラムしたこともありますが、これらは当時パソコンを使う人々の通過儀礼みたいなもので、マニアでなくても皆ある程度の知識がないと会話すらできなかったので仕方なく知っていただけです。最近の掃除機や洗濯機にはワンチップマイコンが普通に入っていて、中ではC++とかアセンブラで書かれたプログラムが走っているのですが、そんなものを理解しなくても掃除機は使えますよね。しかしパソコンは、プログラム言語を理解しないと使うことすらできないような、極めて不完全な「家電」だったのです。動き出しても頻繁に止まりますし、今と違ってエラースタックの情報も全くないか貧しかったので、ただ待つか強制リセットしか方法がありませんでした。PC-9801にはオモテの面に大きなリセットスイッチがあり、パソコンが凍り付く(あるいはフロッピーからひたすら同じ作動音が聞こえてくる)たびに押していました。なぜこんな不完全で不安定なものが総額70万円近くもするのか、私には理解不能でした。

そんなご時勢に、当時働いていた造船会社の設計部署で見つけたのが、Macintosh PlusというAppleのパソコンでした。

控え目に言って、衝撃を受けました。小さな筐体に小さな白黒ディスプレイが付いているだけ。なのにめちゃくちゃカッコいい。上の写真では見えませんが、筐体の上には取っ手があって、ひょいっと持ち上げられるようになっています。ノートPCなんて存在もしていない時代、すでにPCを部屋の中で持って回る思想があったこと自体が驚きです。

キーボードもおしゃれですが、何よりもその横にある妙な物体。「マウス」というんだよ、と当時の同僚は教えてくれましたが、他のすべてのパソコンにはまだ「マウス」などなく、カーソルを矢印キーで動かすことしかできませんでした。Macintosh Plusが発売されたのは1986年ですが、MacintoshのOSであるSystem 1.0がリリースされたのは1984年で、その当時からコマンドではなく画像を使って操作するGUI(グラフィカルユーザーインタフェース)を実現していたのです。Windows3.1が出るのは6年後、1990年のことで、それまでにマウスを使ったことのある人はほぼMacユーザーしかいませんでした。DOSユーザーは皆、頭の中で「ディレクトリ>ファイル」という階層構造を描きながら目指すファイルの操作を行う高度な妄想能力が必要だったのに、Macintoshでは「アイコン」と呼ぶシンボルでソフトもデータも画像化されていて、開くにはそれらを「カチッと押す」(クリックってナニ?という時代です)すればよいと聞き、唖然茫然。

これが当時のSystem 1.0と呼ばれたMac OSのデスクトップ画面です。

一方、下の写真は今朝の私のMac OSのデスクトップ画面です。

色や解像度はもちろん違いますが、右下端のごみ箱やメニューバー、ファイル表示方法などは全く変わっていません。30年以上前からすでに完成されたGUIを実現していたことに今さらながら驚かされます。ちなみに値段も当時で70万円とブッ飛びの高価格です。アップルコンピュータジャパンは1983年に設立していますが、当時は直販など全くなく確かキヤノン販売などの代理店でしか買えなかったと思います。

会社で眺めるしかなかったMacintosh、その後私は転職してWindows漬けの生活となり、高嶺の花であるMacには縁のない生活を長く送ることになります。

Mac OSを丸パクリしたWindows3.1はMS-DOSの亜流とも呼ぶべき悲惨な完成度でしたが、満を持して登場したWindows 95は完成度を飛躍的に向上させ、世界的ベストセラーとなりGUIがPC用OSの世界標準となりました。

一方で、Macintoshを大成功させたスティーブ・ジョブズは、1985年5月の取締役会で全ての役職を追われAppleを去りました。つまり、私が見たMacintosh PlusはすでにジョブズなきAppleから発売されていたことになりますが、ご承知の通りAppleはジョブズ解任後混乱と低迷を続けました。雌伏の時期を経て、奇妙な偶然から1996年Appleに舞い戻ったジョブズが放った世界的な大ヒット作が、1998年に発売されたあのiMacです。透明なボンダイブルーに彩られた丸いボディが、ザ・ローリングストーンズの曲とともに踊る独創的なCMは、見る者にPCの概念を完全に覆す強烈なインパクトを残しました。

当時の私は物凄くハードワークな会社におり、iMacの大成功は知っていてもAppleとジョブズを襲った超劇的なドラマについては全く知りませんでした。iMacも自分で買うところまではいかないな、という程度だったと記憶しています。世の中的にも、iMacを買った人たちはコアなAppleファンという人は少なく、ブームに乗ってみたという人が多かった印象があります。それでも、パソコン専業メーカーに過ぎないAppleの名前を全世界の「フツーの人」に認識させた効果は大きかったと思います。その3年後、今度はAppleの名前がパソコン以外の製品によって世界に轟き渡る、画期的な新商品が発表されました。

iPodです。

写真は第四世代のiPod classicですが、初代iPodは「1000曲の音楽をポケットに」をキャッチコピーに採用し、専門家の酷評を尻目に爆発的大ヒットを記録。mp3の意外な音質の良さにも驚きましたが、何よりもインパクトがあったのはその「使いやすさ」でした。キーやスイッチを極限まで少なくし、代わってクリックホイールやダイヤル、静電式ボタンなど直感で操作できるインタフェースがAppleもMacも知らない人たちに猛烈に支持されました。

今も変わらぬApple製品のコアバリューは、何よりも「使いやすさ」です。性能的に最先端ではなくても、世界中のあらゆるユーザーが戸惑うことなく安心して使えるユーザーフレンドリーな設計は、ソフトだけでなくハードやクラウドに至るまで徹頭徹尾一貫しています。iPodの驚くべき使いやすさは、20年前にちょっと触っただけの私のMacintosh原体験を呼び起こさせました。iPodを使うには、PCにインストールしたiTunesという楽曲管理ソフトが必要ですが、そのインタフェースはまさにあのMacintoshと同じものでした。

こうして、私は見事にジョブズの術中にはまり、20年ぶりにMacを手に入れるに至りました。今から12年前のことですが、以来私だけでなく自宅にあるPC(と携帯電話)はすべてリンゴと化し、Windowsがわからない娘は学校で苦労すると不満顔です。次回は、そんな変遷を経た川久保が考えるMacの価値(と散財)について、ごくごく私的にご案内したいと思います。(つづく。)

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