ピルツジャパンのブログ「月刊 裏ピルツ新聞」

2016年10月19日更新ゴジラは日本代表

Shin_Godzilla

7月末の封切り後、すでに2回観てしまった「シン・ゴジラ」。エヴァンゲリオンシリーズ生みの親である庵野秀明氏が総監督を務めたゴジラシリーズ最新作は、個人的にはハリウッド版も含めて最高傑作だと思いました。何よりもそこには「ザ・日本」が凝縮、いや濃縮されていたからです。

今回の映画は「続編」ではなくゴジラの初登場を描く「新作」です。現代の東京湾に突如出現した巨大不明生物・通称GODZILLAが、放射能を撒き散らしながら東京・神奈川を破壊しまくる、言ってみればそれだけの話ですが、単なる怪獣ホラー映画ではなく、完全に大人向けの上質な風刺&娯楽映画に仕上がっています。

すでに150億円超えの快挙を成した「君の名は。」にはまったくもって及びませんが、封切りから早3カ月が経とうとしている今も、大ヒット上映中と謳っているのは大したものだと内心思っております。先のことはわからないのが映画業界ですので(映画業界に限ったことではありませんが)、いつしれっと新作に切り替わるかわかりません。見逃したくなければ早めの行動をおススメしておきます。

さて、まだご覧になっていない方もたくさんおられると思いますので、重要なネタばらしは致しませんが、東京湾アクアラインの直上に、ある日突如現れた巨大不明生物に対して、日本政府は皆さんの予想通り、現場も見ずに長ったらしい名前の会議に次ぐ会議で、縦割り各省庁たらい回しの事態に陥ります。省庁の長である大臣や長官は、知識も根拠もないのにエラそうな決めつけを連発して赤っ恥、の繰り返し。そうこうしている間にもゴジラは暴れまわり、被害はどんどん拡大。官房長官も首相も実被害より記者会見の内容が気になる有様で、明らかに緊急時の政府対応を揶揄しています。

印象に残るのは、ゴジラに対する攻撃命令が発せられたにもかかわらず、「射線上に避難民が二人いる」という現場の報告にびびった首相が攻撃中止を命じるシーン。ゴジラを倒さねば数万人が死ぬかもしれないのに、目の前の二人を優先するあたりは、ハリウッド映画では考えられない「人道的」配慮です。

一方で、政府は迫りくる危機に対応するためには防衛出動を命じるしかないと、「超法規的措置」の特別立法を粛々と行います。平時は色々と紛糾することの多い「防衛関連」の法律なのに、危機が迫るとすんなり通過。対して官邸前のデモ隊は「ゴジラは神だ!ゴジラを守れー」の大合唱。

前作同様、今回もゴジラは津波や地震といった天災の象徴として描かれており、加えて今や一般常識となった放射能の「そこにある危機」としての存在感も強く感じさせます。普段は全然まとまらず、会議のための会議で時間を浪費しているだけに見える国会や政府が、なんだかんだ言っても有事の際には仕事が速いんですよ、という描写に、皮肉と期待の両方が込められていると感じます。特に立ち向かう相手が強大であればあるほど、団結力も強くなることから、今回のゴジラは史上最大かつ最恐の御姿で観る者を圧倒します。

ゴジラは最初の上陸後、海に潜り姿を消しますが、描かれる翌日の東京はある意味衝撃的です。昨日巨大怪獣が暴れまくったというのに、東証は通常通りの取引を行い、東海道新幹線は新横浜で折り返し運転。破壊されたアクアラインこそ閉鎖されていますが、羽田空港も首都高も平常通り。ゴジラの様子はツイッターやSNSで次々に発信・共有されているのに、皆リアルな危険などまったく感じていないように見えます。しかもその光景になぜか違和感がないのです。「アホだなこいつら、でも確かにこうなるかも」と思わせるくらい自然です。

天災に見舞われることの多い日本では、大地震でもパニックにならない様子が世界に衝撃を与えましたが、怪獣の出現でさえ「見てみて!東京湾にやばいのがいる!」とつぶやく達観、諦観は、おそらく外国人の理解を超える日本人のリアリティでしょう。危機が目の前にあっても、それを自分に対する危険とはみなさない。平和で安全な日本ならではの光景です。

ヒーローなどの個ではなく、組織力で立ち向かうところもすぐれて日本的です。重要決定は首相でさえ独断で行えないカッコ悪い日本。責任の所在が明確ではない代わりに、文殊の知恵を集めて総力戦で戦うことができる。突出したヒーローを生み出さない日本社会、政治家も出世に憧れる小人物の集まりだったりして、ごく普通の人々として描かれています。

映画後半、ゴジラを倒すために日本政府はある究極の二者択一を国連から迫られます。国際社会の信用と、首都東京を天秤にかける選択。追い込まれた日本の総力戦の結末は、ぜひ劇場でご覧いただくとして、極限まで追い込まれないと日本人はなかなか動けないという国民性がよく描かれています。天災などの脅威が頻繁にあるせいか、社会自体はひたすら安定を求め変化を好まない傾向が強いように思います。そうして作り上げた社会は、世界でも有数の安全性を備えるため、特別な苦労や工夫をしなくても安全が確保されると皆が信じています。

一方、ゴジラほどの脅威ではなくても、他国では日本ほど政府も社会も安定していないため、自分から動かなければ安全にはなりません。安全ではないからこそ安全に対する意識が高いのです。

ゴジラは大地震であり、津波であり、火山噴火です。頻繁に起こるわけではありませんが、いつか必ずやってきます。そして、大災害ほどではなくても、日常や生産現場には小さなゴジラがたくさんいて、突如襲ってくる可能性があります。劇中、平和ボケした政府が延々不毛な会議をやっている間にゴジラは3回姿を変え、そのたびに進化、巨大化し、手が付けられなくなります。日常に潜むゴジラが最終形態になったその時になって延々会議を開いても、もう遅いかもしれません。

日本社会と日本人の特異性を抽象化し、歴史ある最恐怪獣によって精緻に描き出した庵野監督は、やはり稀代の天才です。

記事一覧

ページの先頭へ戻る