ピルツジャパンのブログ「月刊 裏ピルツ新聞」

2016年9月21日更新「君の名は。」はて、私は誰でしたっけ?

組紐

超話題作「シン・ゴジラ」を上回る勢いで興行成績を伸ばしているアニメ映画「君の名は。」、ご覧になりましたか? 私(川久保)は、公開3週目にしてすでに3回観てしまいました(ついでに「シン・ゴジラ」は4回観ました♪)。あらゆる年代・性別の方におススメです。

物語は、お互いを全く見知らぬある男女高校生の中身が、ある日突然入れ替わるところから始まります。岐阜の山奥・糸守町(架空の街)で暮らす女子高生・三葉は、実家である宮水神社の巫女。地方特有の狭すぎて濃すぎるコミュニティと僻地の悲哀(電車は2時間に一本、夜9時に閉まるコンビニ、カフェはないのにスナックは二軒もある、など)に辟易する三葉は、生まれ変わったら東京のイケメン男子になりたい!と、日々切望していました。そしてある朝、目覚めると夢に見た東京のイケメン男子高校生になっていたのです。

一方、岐阜糸守の三葉の身体には、入れ替わった東京の男子高校生・瀧の心が宿りました。自分のことさえおぼつかない思春期の二人は、男女の身体の違い(アレがあるとかアレがないとか)はもちろん、お互いの置かれた環境の違いに困惑しつつも、やがて互いのスマホに残す「交換日記」でコミュニケーションを図るようになります。

入れ替わりは不定期に週2~3回起き、眠ることで行ったり来たりします。入れ替わっている時の記憶は、目覚めるとはっきりしなくなるため、最初は二人とも「これは物凄くリアルな夢に違いない」と思い込んでいたのですが、周りの人たちから記憶がない前日の「行状」が伝えられたことで「入れ替わり」を認識。女子力高すぎるイケメン男子と、男気溢れ豪快なのに見た目可憐な女子高生。特に、東京に憧れていた三葉は夢のTOKYOライフを満喫し、瀧がひそかに思いを寄せていた先輩美女とデートのセッティングまで買って出ます。

それまでと180度違う日替わりキャラクターは、本人たちの心配をよそにそれぞれのコミュニティで大人気を博すようになったのですが、それなりにうまく回りつつあった二人の「日記」は、ある日の「出来事」を境にぷっつり途切れてしまいます。お互いに残していた電話番号もつながりません。そして、途切れた理由には驚愕の真実が隠されていたのです。

くわしくはぜひ映画館で確かめていただきたいのですが、二人の間には互いを隔てる大きな「壁」が横たわっていました。そして、それを何としても乗り越えなくてはならない事態が起こり、運命と立ち向かう主人公たちのひたむきな姿に心打たれます。といっても、よくある「ハイここで泣きましょう」的な青春ラブストーリーなら、たとえ売れてもこれほどの爆発的な人気を博すことはありません。誰もが感情移入できる大きなテーマが全編を貫いており、それをアニメでしか描けない物語で紡ぎあげたからこそ、多くの観客に受け入れられていると思います。

この映画に限らず、新海誠作品の特徴としてよく挙げられるのは「背景の圧倒的な美しさ」です。2007年公開の「秒速5センチメートル」をはじめ、新海作品は実写と見まごうばかりに美しい背景にキャラクターが描かれますが、特に星空の美しさはため息が出るほどです。今回は美しい糸守の景色と共に、「これぞ東京」という景色が随所に現れ、しかも昼と夜の連続的な時間のなかで移りゆく風景がアニメならではの表現で、多彩な光とともに精緻に描かれます。

一方で、アニメ作品でありながら「これぞアニメ」という表現はほとんどありません。むしろ実際のカメラワークを意識した実写のような表現、フォーカス外のボケ味や滲み、水滴の反射などが随所に見られ、リアリティを追求した映像が大画面いっぱいに展開されます。このおかげで、アニメでなければ描けないファンタジー要素がありながら「こんなことありえないよね」というトンデモ感はほとんど感じず、観客が素直に感情移入することができるようになっています。しかも、さまざまな要素が複雑に絡み合うストーリーなのに、芯の部分は全編を通して1ミリも揺らぐことなく、疾走感あふれるRADWINPSの音楽に乗って、ラストまで一気に連れて行かれます。

描かれている主人公は高校生がメインですが、貫かれるテーマはむしろオトナ向けだと思います。たとえば、観た方はわかる「夢」と「ムスビ」。「夢」は、二人が入れ替わることそのものを指しているだけでなく、いろいろな意味が込められています。

たとえば、「夢は、覚めればいつか忘れてしまう」という台詞。皆さんもご経験があるでしょう、夢を見たことがあるのに、起きるとたった今まで見ていたはずの夢について内容が思い出せない。それなのに、なぜか涙を流していたり、反対に楽しい気持ちになっている。最近の研究では、夢は現実のシミュレーションだといわれていて、脳が記憶をもとにこれから起こることを見せているらしいのです。つまり、夢は過去と未来の懸け橋ということになります。

そして、もう一つ劇中に頻繁に出てくるのが「ムスビ」という言葉。巫女である三葉の実家、宮水神社に伝わる言葉で、「産霊」と書きます。作中重要な役割を果たす「糸」や「紐」といった物理的な「結び」だけでなく、人と人とのつながり、時間の流れ、それらの関係性はすべて「ムスビ」。しかもそれは一定普遍ではなく、寄り集まって形を作り、捻じれて絡まって、時には戻ったり途切れたりしながら、またつながる。

このブログをご覧の方々も、今までの人生の中でいろいろな「ムスビ」を経験されてきたのではないでしょうか? そのうちのいくつかは、思い返しても説明がつかないほどの、奇跡のような偶然だったり、あとになって「あれはそういうことだったのか!」と気づいたりすることがあると思います。この映画では、その「ムスビ」の象徴として「組紐」が極めて重要な役割を果たしていて、主人公の二人にとって「鍵」ともいえる存在。「夢」はともかく、スマホ世代の高校生のドラマなのに小道具が伝統的な「組紐」だなんて、ちょっと意外性もありますよね。

「夢」も「ムスビ」も、実際に手に取って見られるものではありません。夢を見ない人はいなくても、見た夢を克明に記憶することはできません。でもどちらも確かに存在していて、私たちに深くかかわり、時には世界を動かす力にさえ変わります。

タイトルにもなっている「君の名は。」

夢の中で出会った人たちの名前は、多くの場合思い出せません。「夢」は実は過去の記憶で、目が覚めればいつか忘れてしまう。時には、大切な人の名前さえも。なのに、彼らは確かに記憶の中にいるのです。その名前が蘇る時、「ムスビ」が再びつながります。スマホがありSNSがあり、世界中の誰とでもすぐにつながる現代なのに、瀧と三葉には絶望的な隔たりがあって、会うことさえかなわない。でも、二人の間には確かな「ムスビ」があり、それが物語に希望をもたらします。

目には見えないのに、誰もが理解できる普遍的なものに光を当てた結果うまれた、単なる娯楽作品に留まらない深い味わいが、幅広い層に受け入れられる大きな理由のひとつではないでしょうか。監督は意図的にいくつかの重要な点を脚本から省いており、それらを観た人なりに解釈できるのもこの作品ならではの楽しみ方です。

おそらく後世に語り継がれるであろう傑作を世に送り出した新海監督、次回作が待ちきれません。

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