ピルツジャパンのブログ「月刊 裏ピルツ新聞」

2017年3月15日更新あなたもわたしも「ラ・ラ・ランド」


「もしかして私たち、入れ替わってる~!?」も夢のお話でしたが、今回はアメリカンドリーム(と挫折)を描いた話題作のほうです。

2017年アカデミー賞最多14部門にノミネートされ6部門で受賞した上、前代未聞の形で作品賞をまさに目前で逃した伝説まで作り上げた「ラ・ラ・ランド」。映画館に行くほどではないかなー、と思っていたところ、ドイツ出張の機内で観ることができました。

世の批評を見ていると賛否両論のように見えますが、これは本作に何を期待するかで印象が大きく変わってくるからだと思います。古き良きアメリカを礼賛するような原色の80年代風衣装に身を包んだ男女が、底抜けに明るいブラスのリズムに乗って画面狭しと踊りまくるシーン。冒頭の105/110フリーウェイや、グリフィス天文台やワーナーブラザーズスタジオ、ハーモサビーチピアにお洒落なダイナーといった、わたせせいぞうや鈴木英人が描きそうなこれぞLA!な景色の中で、ありふれたキャラクターたちが繰り広げるありがちなストーリー。観終わった直後の感想は「中二病カップルが繰り広げる、音楽最高で中身カラッポのラブストーリー」。バブルの末裔たるアラフィフ世代は全員覚えているだろう「フットルース」や「フラッシュダンス」に通じる小気味良い軽さで、ノスタルジーに浸りたいおっさんおばさんは大喜びでしょうが、自分は既視感いっぱいという印象しかありませんでした。ところが、少しあとで思い返してみると「あのシーン、もしやこういう意図があったのでは・・・」という数々の伏線に気付き、作品に込められた作者本来の意図に慄然としました。

どんな映画かと問われれば「ミュージカル仕立てのラブロマンス」と簡単に説明できるのですが、内容はそう簡単ではなく、秘められた嫌らしいメッセージがそこかしこに見え隠れします。舞台は(たぶん)現代のロサンゼルス、ハリウッドをはじめとするロスの芸能界で一旗揚げたい男女二人が出会い、恋する物語。主人公二人ですが、大学中退して女優を目指し、ハリウッドセレブが訪れるワーナースタジオ内のカフェでアルバイトしながらオーディションを受けまくり落ちまくるミア。理想のジャズだけを追い求めるあまりバイト先でも言われた通りの音楽を弾かずクビになるダメンズのくせに「好きな時に好きなジャズを聴けるクラブを作る」「滅亡寸前のジャズは俺が救う」と豪語するさえないジャズピアニストのセブ。どちらも夢に夢見る浮かれた若者で、この二人が夢と現実のはざまで揺れ動く、要するによくある典型的青春モノ。聞いただけで「もう結構」という方もたくさんいるでしょう。

ところが、よくよく思い返すと「これぞミュージカル」という明るく楽しいシーンは本当に前半だけ。後半のスクリーンは夢と現実のギャップに叩きのめされる主人公たちの悪あがきを象徴するかのような暗く重い色調と言葉に徐々に彩られていきます。夢をかなえるために、おカネと引き換えに好まない方向性のジャズを演じるバンドに加入するセブを「あなたのやりたい音楽はどこへ行ったの?」となじるミア。いくらやっても受からないオーディションに限界を超えてしまうミアに、「夢を途中であきらめるのか」と迫るセブ。よくある展開ながら二人を待つ結末はここでは申し上げませんが、二人のキャラクターは、同じ夢追い人でありながら極端に対照的です。

セブは古き良きジャズを愛し、ラジオしかついていない30年落ちのビュイック・リヴィエラに乗り、白黒コンビのウィングチップにナロータイ、なでつけ頭でジェームス・ディーンを愛する時代錯誤なまでに保守的な偏屈男。現代の音楽や映画は大衆に媚びた拝金主義と切って捨て、「いつかビッグになってやる」という野心を持つ一方、自分ではリスクを取りにいかずチャンスが来るのをただ待つ臆病者でもあります。貧乏なくせにプライドは高く、いつか持つ自前のクラブに備えて引っ越しの荷物もずっと解かずに置いてあります。

対してミアは、現代ハリウッドセレブ御用達のトヨタ・プリウスに乗り、カフェで働き、女優として大成功する未来を夢見る進歩的な女性。パーティで出会った映画プロデューサーと付き合い自らチャンスをうかがうしたたかさもありますが、オーディションに何百回と落ちるうちに自信喪失しつつあるところ。カフェを訪れる大女優と、食い扶持にも困る自分との格差を目の当たりにして悶々とする日々を過ごしています。ミアはお金がないので、プリウスも型遅れ。食うに困る生活でもプチセレブ感は味わいたい。アメリカの大半を占める典型的サブプライム層です。一方で、カフェに来る女優たちに「これグルテンフリーじゃないの?じゃ返金して」と言わせるなどにわか成金を小ばかにする描写もあって、バランスを取っています。

要するに、この二人は保守と革新、過去と未来というアメリカそのものの構図です。どちらにもメリット・デメリットがあり、その間で揺れ動くのがアメリカ。エコで正義の味方でも格差拡大し仕事がない現代のアメリカと、大らかで夢だけを頼りにのし上がってこれた過去のアメリカ。二人が再会するレストランのバレーサービスで「私のプリウスのキーをちょうだい」というミアにボーイが「どのプリウス?」というくらいずらりと並んだプリウスのキー。時代はガソリンをがぶ飲みするアメ車からワンタンク600マイル走れるプリウスに変わっても、若者が見る夢は同じ。伝統と革新、夢見る対照的な二人が月明かりの下で踊るダンスは、おそらく意図的にぎこちなく演出され、やがて迎えるパイプ・ドリームの結末を暗示しています。

La La Landというのは、文字通りロサンゼルスそのものを表すと同時に、「恍惚とした心理状態」を示す慣用句でもあります。「あいつは最近ララランド状態だね」というような使われ方もする、決して肯定的な言葉ではないのです。浮かれた夢はいつか覚める。劇中で二人が訪れるエンジェルス・フライトやリアルト・シアターといったかつての名所もいまや閉鎖され朽ちるのみとなっており、「夢のあと」を象徴的に描いています。

世の中は変わっているのに、君らいつまで中学生みたいな夢を見てるんだ?という問いが投げかけられる映画は「ニュー・シネマ・パラダイス」をはじめたくさんありますが、本作が凄いのはミュージカルとジャズという、完全に使い古されたアメリカのアイコンを使って、一見底抜けに楽しい映像の裏に、皮肉に満ちた黒いメッセージを隠したところです。「皆さんが食いつきそうなテーマを、皆さん好みのテイストで演出したので、これでせいぜい『ララランド状態』になって楽しんでね」「でも、本当に言いたいのは『君ら、本当にそれでいいの?』ってことだけど、わかるかなー?」という「挑発」だと思います。CGに駆逐されつつある実写映画、莫大な予算、暴騰するギャラ、原作モノ、連作モノしかヒットしないハリウッドの閉塞状態。でも、その状況を招いたのはアカデミー賞をはじめとする映画産業の偏った価値観と行き過ぎた商業主義なんじゃないか?

CGもほとんど使わず、超一流の俳優も使わず、音楽だって監督の大学時代の同級生に頼んで作ってもらい、アカデミー監督賞を受賞したデイミアン・チャゼル監督は「成功するとは思っていなかった」「何かを暴露して晒すような作品を作りたい」と述べています。あの頃が恋しい君たちのために、あの頃のやり方で作ってあげたよという彼の挑戦的なメッセージ(たぶん)は、果たして作品賞には結びつきませんでした。作品を観た後で「あの」アカデミー賞歴史上前代未聞の授賞作品取り違えを振り返ると、少し背筋が寒くなります。「監督としては敵ながらあっぱれ。演技も見事。でも作品賞と脚本賞は渡すわけにはいかない」という映画芸術科学アカデミーの意地であり、演出だったのではないか?そう邪推せざるを得ないほど、作者の揶揄を感じずにはいられないのです。

なお、本作の音楽は前述のとおり、監督のハーバード大学時代の同級生であるジャスティン・ハーウィッツが手がけましたが、一度聴いたら耳から離れない名曲の数々です。脚本も音楽もゼロから作るのは最近のハリウッドではほとんどないそうで、ここにも監督のリスクテイカーとしての姿勢がにじんでいます。映画を観ていない方も、ぜひ一度聴いて「ララランド状態」になってください。

 

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