ピルツジャパンのブログ「裏ピルツ新聞」

2022年3月16日更新冬季オリンピックと平和を考える

 「平和の祭典」冬季(北京)オリンピックが2月20日閉幕しました。このブログが届く頃には、パラリンピックも3月13日に終了しています。個々の競技に参加して死力を尽くした選手は勿論、選手を支えた続けたスタッフや家族を含めた関係者の想像できない努力に対して全員に“アッパレ!”ですね。しかし、本当に平和の祭典だったのか、考えさせられることも多かった大会だったとも思います。昨年のコロナ禍でありながら灼熱の真夏の東京で開催した東京大会といい、今回も雪の少ない北京での開催など商業主義が前面に出た、選手ファーストでないオリンピックという大会に対してかつての感動や心躍ることが少なくなっているのは私の年齢のせいだけではないように思います。

 北京オリンピックが終了してこの原稿の下書きをした後で、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました。子供や何も罪のない人たちの命をなんと心得ているのかという怒りしかこみ上げてこない侵略行為です。一瞬にして選手の頑張りやスポーツの良さが台無しになってしまった感覚になっています。 

 評論家諸氏が「プーチンは“独裁者”“大量殺人犯”」などと表現しているがその通りだと思います。このブログが読まれているときに、最悪のシナリオになっていないことを願っています。多くの皆さんが感じていることと同じになるかもしれませんが、いつものように教訓としてどのように捉えるのか考えてみたいと思います。あくまでもテレビや新聞、ネットから知り得た情報からしか言えませんので偏った見方かもしれません。(文責:古澤)

1.商業主義化したオリンピック

 4年に一回の大会であり、多くの人にとっては、日頃見ることのできない冬季スポーツを見る機会として、選手としては披露できる機会として貴重な大会だと思います。マイナーといわれる競技はなおさらのことであろうと‥‥。個人的に、冬季スポーツとの関わりと言えば、スピードスケートにかなり凝っていた時期がありますが、それ以外の冬季スポーツには縁が薄いです。場所の制約、道具などに費用がかかること、寒さに弱いことなどが要因としてあるので夏季スポーツのような関心も少ないのが実情です。今回は雪が少ない場所での開催となった訳ですが、施設の整った地域を何カ所か限定しておき、順番で実施するなどの工夫で無駄な費用もかからずにすむような気もしています。今回もコロナ対策が必須の環境下で中国としても国家をあげてというにはほど遠い大会となってしまった感が強いです。記者たちでさえバブル方式で中国の情報を得ることも発信することもできなかったのだから、はたして目標達成できたのであろうか。開催前から人権問題で各国の外交ボイコットが起こったり、女子テニス選手の軟禁?問題があり、そこになぜかバッハ会長が出てくる違和感、開会式には、国としての出場が認められていないロシアのプーチン大統領が出席したりと興ざめの要素が大きかったように思います。IOCの商業主義・政治利用への加担などの問題が興味をそいでいることは大きかったように感じています。個別競技の世界大会も昔から比べ多くなっていることもあり、個別にやれば良いという意見も多く報じられていた。しかし、商業主義という視点であれば個別の競技大会でも同じことは起こる可能性はありうることかもしれない。それならば、利益を参加した選手(または各国競技団体)や発展途上国などの支援に還元してはどうかと思う。参加させてやるというのではなく参加していただいているという気持ちで考えるべきだと思う。

 パラリンピックが3月4日から始まった。ロシアとベラルーシの選手は、開会式前日に出場できなくなったことは、選手の気持ちとしてはかわいそうであるが、侵攻して命を奪っている国の選手が出場して、命を脅かされ出場すらできなかったり、祖国を思うが故に気持ちが入らない状況の選手と対等とは考えにくく、平等とは言えないので当然の措置だと思う。IPCの判断が甘かったし遅かったと思うし、平和の祭典とはどういう状況をさすのだろうか?考えさせられる大会となりました。

2.メダル至上主義からの脱却はできるのか

 勝負の世界である以上、勝つことへ執念を燃やすことに違和感はありません。そのための4年間の積み重ねの努力だし、それが無ければ見ている人に感動も勇気も与えられないと思う。しかし、いき過ぎることでドーピング問題に発展したり、ルールの運用問題から失格者を多く出したことなど今回に限らず課題が発生しています。ルールは、すべてに対して平等などあり得ないが、極力条件をそろえる中で競うためのものですが、審判などの判断で急に解釈や検査方法が変わるようでは何の意味も持たなくなってしまいます。確かにメダルをいくつ取ったかは興味があることは事実です。しかし、あまりにもメダルに関する報道だけでは今では死語になっている感がある「参加することに意義がある」という点についてどうなのか?スポンサーの顔を見ながら、視聴率をとるために、メダリストだけの報道インタビューをどこの番組でも同じように繰り返していることに“イラッ”とします。本当の良さは、結果も大事だがそこまでの努力した経緯などの紹介が好きです。とくにスピードスケート女子500m、1000mに出場した小平選手が終わった後にいった言葉「成し遂げることはできなかったが、自分なりにやり遂げることはできた」という言葉は、印象的でした。今回のスノーボードハーフパイプの平野歩夢選手のトリプルコーク1440成功、女子ビックエアー・岩淵麗楽(れいら)選手の3回転への挑戦(尻餅をついたが競技として初)、羽生弓弦選手は、普通に滑っていればメダルは取れたと思うがあくまでも4Aへの挑戦、女子スピードスケートの高木美穂選手の5種目挑戦など、人の限界への挑戦、新境地への挑戦など「挑戦」する姿こそ、人を感動させ、見ている人たちの一体感を呼び起こすのだと思いました。夏季大会のスケートボードの西矢椛(もみじ)選手が難易度の高い技を成功させた時、今回の平野選手、岩淵選手の競技終了時、各国のライバル選手が集まって祝福する姿が素晴らしかった。これこそがスポーツの良さであり、オリンピックの晴れ舞台にふさわしく平和の祭典そのものと思いました。

 参加するには国のバックアップもあるわけで、代表であることは当然意識すべきとは思うが、近年の選手の言葉として「やってきたことをすべて出し切る」という自分に置き換えた言葉が多いと思う。また、終了後は、この場に立てたという感謝の言葉が必ず発せられることに時代の変化を感じました。選手ファーストで考え、選手のパフォーマンスを楽しませてもらうことが主であって、国対抗メダル獲得数などあまり重要ではなくなっているのかもしれません。

3.笑顔とコミュニケーションのロコ・ソラーレ

 女子カーリングは、4年前を思い出させる内容でした。当時、「そだねー」は流行語大賞になり、「もぐもぐタイム」なども流行しました。今回も普段は笑顔でコミュニケーションをとりつつ勝負の時はキリッとした表情で戦う選手たち。勝敗を決するまでに最も時間がかかっている競技だと思うが、オリンピックでなければテレビでこれだけ報道してもらえないと思う競技です。予選最終戦で負けて泣きじゃくっていたところへ決勝進出の情報がはいり「もう一試合できるんだー」と泣き笑いの顔になった姿、見事決勝へ残ったが英国に負け銀メダルで涙する姿。「前回は、勝って嬉しい銅メダルだったが、今回は、負けて悔しい銀メダルだった」という言葉も言い得て妙であった。そして先回のリーダー本橋麻里選手(現在、ロコ・ソラーレ代表理事)の役割を今回は、石崎琴美(43才)選手が果たし最年長メダリストになりました。石崎選手とスタッフを務めた裏方の人たちがいるからこそ輝いている選手かいます。まさにチームであることをしっかり伝えてくれたカーリング女子であったと思います。「ナイスぅー」という言葉とともに明るさを印象に残しオリンピックが終了したことは良かったと思いました。

 突然話は変わりますが、私たち安全の仕事は、ゼロ災達成以外は失敗などと言って落胆し、挑戦してきたことやそのプロセスの成果すら評価せず、金メダルのみを追い求めているような仕事をしていませんか?いつも苦虫を潰したような顔でやっていませんか?パトロールも怒ったような顔をしていませんか?反省したいところです。笑顔の中にこそコミュニケーションが生まれよい結果になることを学びましょう。

4.スポーツで明るい社会をつくる

 今回のパラリンピックは、ロシアのウクライナ侵攻が進んでいる中での開催になり、平和の祭典と言うには大変残念な結果になりました。人間の愚かさを感じてしまいます。「猿の惑星」という古い映画を思い出しました。人間同士が戦い、核を使い滅びて猿が地球を支配するという内容だったと思います。その中で「猿は猿を殺さない」という猿のことばが印象に残っています(結果として殺してしまうのですが‥‥)。今回のロシアの侵攻は、なぜ兄弟国とも言われる国の人たちの命を脅かすことができるのか、まったく理解に苦しみます。

 今年の冬季オリンピック・パラリンピックでは、結果として一つひとつの競技が私たちに与えてくれた感動は忘れないと思います。そして、国という領域を超えた友情もたくさん見ることができました。スキージャンプの高梨沙羅選手は、オリンピックの団体戦で失格し、失意のどん底にありましたが、その後のW杯で見事復活優勝を成し遂げました。あのままやめることより挑戦することを選択し、見事な成績をあげ、心配していた人たちを安心させました。スポーツは感動や力を与えてくれます。

 スポーツの限界への挑戦のためには莫大な費用も必要です。各国が防衛費の増大を競うのではなく、平和の中でしか楽しむことのできないスポーツや貧困で苦しんでいる国・地域へのサポートにその予算の一部でも回したらもっと争いのない世界へとつながっていくのではないかと思わされました。パラリンピックの原点は、戦争で傷ついた兵士たちにスポーツをする機会を与え、生きるための目標にと考えたことが始まりと言われています。そんな傷つく兵士はいらないのです。

 先回のブログにも「ポジティブ思考の大切さ」を書きましたが、愚かな行動を教訓として、人類捨てたモノではないと言える日々が早く来ることを心から祈念します。

 小さな力ですが、私たち安全を担当し推進していることは「命を守る活動そのもの」だということを誇りに前進しましょう。

 

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