ピルツジャパンのブログ「裏ピルツ新聞」

2021年6月16日更新正直に生きる・語ることの大切さ ~“生き様”を振り返る~

 現在のコロナ禍は、先回のブログで書いた悪い方の状況になっていて大変残念に思います。それに輪をかけて「オリンピック・パラリンピック」が”なし崩し開催”の様相を呈してきました。実施するなら実施するで、「どう言う目的や利害を考え、規模縮小や無観客など、どのようにコロナ対策をとっていくから国民の皆さんご協力を」と政治家は言えないのでしょうか?多くの皆さんが、「今はそんなことやっている時ではないでしょ!」と言っている声に何故応えないのでしょうか?国民を無視しているとしか感じられなくなっています。コロナ禍で人の命が失われている事実、多くの国民が自粛や行動抑制をして頑張っていることに対して相反する施策を何故これだけ打ち出せるのか不思議でなりません。このことは、政治に対する不信感を一層増長させていること、ひいては世界から日本に対する不信感の増加などにつながっている事を感じない、あるいは感じていてもそれ以上の「何か」がある人たちには正直失望させられています。

 日本は、モノづくりを得意として成長してきたと思います(勿論、これだけではありませんが‥)。企業で働く人たち・特に第一線で働く人たちがトップリーダーを信用できない、納得性を得られない中では、連携をとった良い仕事などできるはずもありません。企業であれば、すでに存在しなくなっているのではないでしょうか。

 このままでは、私たちが現場に出向き皆さんと一緒になって考え、より良い職場にしていく安全活動、元気な人と職場づくりに向けた安全活動、まさに「働く人の命と健康を守る」活動を再開することも難しいと考える日々です。幸いに唯一の希望の光でもあるワクチン接種が始まっています。時間はまだかかるとは思いますが、新たな変異株が発生する前に行き渡ることを願っています。

 自分は正直でありたいと思って生きてきました。その前提となる考え方や行動はどのように形成されたのか”自身の生き様(ざま)”を少し振り返ってみたいと思います。私は過去を振り返らない性格なのですが‥。

 

1.置かれた環境の受け止め方と心がけ

⑴ “生き様(ざま)”の意味

 「”生き様”は本来、自分の生き方を卑下して言うときに使う言葉。辞書では”自分の過ごしてきたぶざまな生き方”とある。最近では、他人の生き方を指して使うようになっている」とありました。

 私自身を客観的に振り返ることはできないと思いますが、時々「古澤さんのような考え方の人になるためにはどうすれば良いのか?」と問われることがあり、正直困ってしまいますがこのコロナ禍で少し考えてみることにしました。一つ言えることは、格好の良いことは何一つないと言うことです。環境としては、日本経済が急激な右肩上がりの時代だった影響が大きかったと思います。何もわからない人間が社会に出て、何もわからない時でも仕事はしなければなりません。教えてくれる人が少なく(上司も先輩も未経験のことへ挑戦することで精一杯?だった)自分で勉強するしかなく、当然のごとく失敗の連続でした。しかし、失敗を責められるよりも”次にやることをやれ”と言ってくれた先輩から走りながら考え、身につけていくことを学んだときでもあったと思います。失敗が良い経験になりました(正直何度首になると思ったことか‥)。また、社会としても会社としても成長過程で未経験ゾーンでの仕事ばかりでしたから、上司や先輩の言うこと、やることに対して課題や欠点がすぐに見えてしまい、反発をしつつ自分流(と思って)カイゼンを繰り返しました。大量生産の成果でもありますが、給料の50~100倍のカイゼン効果を出し続けて少し天狗になっていたこともありました(こういう人たちの集団だったと思います)。カイゼンの楽しさを20才代で知ったことになります。上司や先輩にすれば常に文句ばかり言ういやな部下だったと思います。今思えば、上司・先輩の懐の深さに包み込まれた”孫悟空”だったと思います。(”その通り”という声があちらこちらから聞こえる気がします)「一生懸命やること、積み重ねることの大切さ」が自分の中で育ち財産になっていく過程だったと思います。ある意味時代に育てられたのかもしれません。感謝です。しかし、全員が同じように成長したかと言えば違います。問題・課題の捉え方の深さや目標の高さの持ち方などが違ったのかもしれません。自信を持って言えることは、どんな失敗でも、人生の岐路になるような問題でも、3日間くらい悩みましたが、反省は当然するものの「やるしかない。自分のため、家族のため(25才で結婚)」と思ってポジティブ思考に切替えることができたことだと思います。この点は、子供の頃、貧乏な家庭環境(ほぼどの家庭でも同じだった思うが‥)に育ち、ハングリー精神だけは人一倍持って育っていたと思います。同期入社が300人以上、同じ部に30人の同期がいるという激しい競争下に置かれていて、負けられないという気持ちも人一倍強かった(皆そうだったと思いますが)し、こうした環境や親の育て方もあったかもしれないと思います。今だから言えることばですが「失敗(ピンチ)は成長のチャンス。失敗は活かせば教訓」という捉え方が身に付いてきたのだと思います。今は、失敗をしないことを求められすぎて、上司・先輩に意見を言えないとか挑戦するという意欲が失せている人も多くなっているように思います。人それぞれ環境は違うし、考え方も違いますが、自分の人生です。共通する教訓は、どこにでもあり活かせることも多いのではないかと思います。自分の人生を振り返ったときに”足跡(成果)”を言えることは大切な事だと思います。

⑵ 「安全・安心」の使い方

 かつてこれほどまでに「安全・安心」と言う言葉が日々人の目に耳にとまることはなかったと思います。どのような質問にも紋切り型で同じ回答する人がいることも一因と思いますが‥。安全活動を推進している私にとっては、心がざわついてしまいます。安全は総合学問(明治大学名誉教授:向殿政男先生)と教えられそう信じて実践してきました。私は、「安全はマネジメントそのもの」と表現してきたことと一致します。その前提となる考え方として、今までの指導の中で「安全・安心」と続けて使ったことは一度もありません。安全活動の中では、「安全」は与える側の仕事と考えて発言してきました。働く人が命や健康のことを常に考えなくても仕事に集中できる環境を作らねばならないのは当然でそのための環境改善・しくみづくりは、トップリーダー・管理者の仕事であると考えてきました。その結果として作業者がこれなら「安心」して仕事に専念できるという受ける側から発する言葉が「安心」になるのだと思います。安心は押しつけるものではありません。家庭では、子供の命と健康を守るのは親の仕事です(安全)。そして子供は、安心して遊び学び生活することができるのです。4文字熟語のように使うことが悪いわけではありませんが、トップリーダーたちが、第一線の人たちに責任転嫁しているように聞こえて仕方ないのです。オリンピック開催に対しても「安心」と言うことが発信できるのは国民だと言うことです。それだけの環境・しくみ整備をリーダーが示せていないことは問題なのです。各企業の安全活動にも同じことが言えると思います。読者の皆さんは、これからの安全活動の中でしっかりと使い分けをして欲しいと思います。

⑶ 普遍の考え方「命を守る活動」

 私が若いときは、設備計画をする技術者でしたから設備設置工事でゼネコンや設備メーカーの人たちと仕事を一緒にしました。現場監督としては、安全は大切であったと思いますが、当時は納期と費用が優先順位としては上だったと思います。高度成長期でしたから納期が短いことかが多く、「何が何でも完成」と言う意識が強く、業者さんも大変だったと思います。時に無理を強いたこともありました。今の「オリンピックを何が何でもやる」と言う気持ちに似ているかもしれません。しかし、ケガを発生させれば仕事は止まりますので安全に対して深い知識が無いときでも安全だけは厳しくお願いした記憶があります。

 40才代に全社安全推進担当になった一年目に、元職場で悲惨な死亡災害が発生して「私は何のために誰のためにこの仕事をするのだろうか?」と寝ることもままならないくらい考えさせられました。人は、夢を持って生きているし、実現するために仕事をしている訳で、その人の命を仕事で失うことがあってはならないし、夢を奪うことでもあるという考え方に至りました。人の命を犠牲にして成長する企業や国はあり得ないと考えたのです。極端に言えば「働く人の命が守られないのなら、会社がつぶれても仕方ない」と考え、わかりやすい活動・しくみづくりに挑戦しました。当初は、誰一人賛同してくれませんでしたが、仲間づくりをしつつ、3年間無我夢中でやりました。結果としてISOよりも10年以上も早く機械安全基準を制定できたし、安全活動もシンプルで具体的な方向が出せました。より良い環境ができ、現場が主体的な活動となり、カイゼンに結びつける安全活動の推進ができて、高止まりしていた災害を半減することにつながりました。気づけば多くの人が考え方に賛同して動いてくれるようになっていました。作業者一人ひとりの立ち位置で考え、やるべきことを具体的に設定して実践をしていくこと、抽象的な言葉や人に頼った活動だけを押しつけても賛同や納得性は得られないし、成長につながらないとつくづく思います。今回のコロナ禍への対応の失敗が、いろいろな分野で尾を引かなければ良いなと思います。(後々”良い教訓だったね”と言えることを期待!)

2.「我以外皆我師(われいがいみなわがしなり)」

⑴ 考え方の基本づくり

 先回も書きましたが、私の考え方の基礎を固めることに大きな影響を与えたのは、30才代の労働組合の専従執行委員として活動をした時代だと思っています。「執行委員は、肩書きのない仕事」と考えてやっていたことを昨日のように思い出します。私は、教育部長や支部長や局長と言った肩書きがついていました。会社で言えば管理職にも相当する肩書きと言って良いでしょう。ただし、会社と対等な立場として接する場合だけです。会社では、これだけの肩書きがあれば、部下が納得する・しないは別として、指示命令で動くと思います。しかし、組合員は違います。納得しなければトコトン反発してきます。賃上げ交渉結果など100%納得なんて言うことはまずありません。社会情勢や交渉のプロセスなどから相手のレベルに応じて、上から目線ではなく、相手目線で話していくことが求められます。高圧的な姿勢だけでは絶対うまくいきません。「あなたの説明は解りやすい。納得はしないが理解します。また教えてください」と言う言葉をかけられるようになりました。これも何度も失敗したことで得た経験値です。こういう経験をしたことが今の仕事でも、相手の気持ち・考え方を汲みつつ解りやすく話しを構築していく術(すべ)が身に付き役立っていると思います。そのためには、多くの情報を常に得る(本、新聞、テレビ、人の話など)努力とそれらを関連づけて整理しておく習慣が大切だと思っています。このことは、今でも実践しています。

⑵ 人的ネットワークが財産

 多くの人が私の話を聞いて、実践してくれています。今まで全国で何万人の人に話しかけてきたのだろうと時々思います。いつも講義や講演で、「辛い思いからの教訓として多くのキーワードを話します。その中で自分の置かれた立場・環境から考えて一つで良いので実践してください。一つずつです」と言うことにしています。誰一人同じ環境や経験をしているわけではありません。できることは限られています。あまり背伸びせず、あまり卑下せず120%(手の届きそうな)の目標を設定して欲しいとお願いしています。全国産業安全大会(中災防主催)には、毎回1万人以上の安全衛生スタッフの方々が集まります(昨年はコロナ禍で中止。今年は、80回大会in東京)。多くの仲間が同じような悩みを持って現場で実践しています。また、多くの経験を積んで多くの知見を持っている人たちもたくさんいます。是非、多くの人たちとのネットワークの構築をして力強く自信を持って前進して欲しいと思います。

 私は、畑を借りて家庭菜園を50年続けています。簡易耕耘機も4台目になります。昨年のコロナ禍で野菜への”声かけ”や”面倒見”が良くなりました。現地現物巡視と声かけで、病虫害等生育状態の課題に気づきことと対策が早くなり、収穫が増えました。相手は言葉を発しませんから、こちらが察する感性が必要になります。野菜にも命があり、環境を整えてやることで安心して育ってもらうために与える側の変化点を感じ取る経験値が大切になります。結果としてキュウリやナスなど一本の苗から100個以上の収穫が可能になりました。ユーチューブで師匠がたくさんできたこともあります。「野菜作りは土づくり。土づくりに3年」など「モノづくりは人づくり」など仕事につながっている教訓も多くあります。

 表題に書いた「我以外皆我師(われ以外、皆わが師)」と言う言葉を大切にしています。小説「宮本武蔵」(吉川英治氏)の中にある言葉です。自分自身の周りにある全てが師匠と考えて接する、観る、考える、整理すること、良き習慣化することこそが自分を研くことにつながり、自分自身に正直になれ、正しく表現することにつながると思います。負けるな!コロナ禍!皆さんのご健闘とご健勝を祈ります。

記事一覧

ページの先頭へ戻る