ピルツジャパンのブログ「裏ピルツ新聞」

2021年3月17日更新新型コロナ禍の更なる課題・再考 ~件数・パフォーマンスより内容重視の活動へ~

 ブログ原稿のテーマをいろいろと考えるのですが、私自身の自粛生活も長くなり、全ての依頼が先送りになって現場感覚が鈍ってしまい、なかなか文章作成に向かう気力がでないというのが正直なところです。このブログを書いているのが一都三県の緊急事態宣言の延長の話題が”政治的な駆け引きのような決定の仕方”となっていることをマスコミがとりあげている時です。読んでいただいている時は、再延長もなく収まりつつある事を祈るばかりです。しかし、「変異株」の広がりが3月4日現在で19都道府県に拡大(厚労省)と発表されています。検査・分析も不十分な中での不安要素であり、心配でもあり、新しい局面になっているのかもしれません。

この一年間の新型コロナ禍対応に対して皆さんそれぞれ考える事もあると思います。限られたマスコミ情報等から得られたことから私なりに考えていることについて再度触れてみたいと思います。少なくとも課題を今後に「どう活かすか」と言う視点は、安全衛生活動とも共通します。皆さんももう一度考える機会にしていただけると嬉しいです。

 

1.「数値目標」だけではコロナの収束に(災害の減少に)つながらない

(1)新規感染者数に重点が置かれた報道の問題

 最も大事な数値と言われている「病床逼迫具合」「死亡者」「人工呼吸器又は集中治療室に入院している者」等々ありますが、マスコミ(特にTV)で主に取り上げているのは「新規陽性者数」のように感じています。確かに、第3波で1月はじめに8千人に迫る勢いだったのでこれらをいかに下げていくかが目標の一つになったことは間違いありません。傾向の推移はどんな場合でも大切です。しかし、宣言解除の基準は具体的には示されません。数値にでない現場の実態や変異株のような新たな要素も加えて「総合的に判断する」必要があるからです。しかし、飲食店をはじめとする事業を営んでいる人たちや国民一人ひとりにしてみれば、いつまでにどうなれば以前と同じような生活ができるのかという点をはっきりさせて欲しいという気持ちも当然だと思います。昨年6月号でも触れましたが、「数値の説得力のすごさと同時にその数値の持つ意味をしっかり理解した上で行動することが大切」と書きました。新型コロナが拡大し始めた頃は、100人を超えるとか超えないと言って問題視していたと思います。数値慣れが生じています。また、無症状の人の問題もあります。検査していなくとも陽性になっている人もいるわけですから表面に出た数値だけで判断することも難しいのが新型コロナの特徴の一つでもあります。数値をどのように観るかという視点は大切だと思います。

(2)「具体化・具体性のある表現」が重要

 なぜ新規陽性者数は減少したのか?先回の緊急事態宣言の時と何が違っているのか?これから何を継続していけば良いのか等々の情報が私たちには充分届いていないことも事実です。「人に頼った安全活動の限界」と以前も書いたように、「3密をさけて」「マスクの着用」「大人数の会食は控えて」など「要請」だけで充分なのでしょうか?第一波の後、第2波・第3波まで何を教訓として行動したのでしょうか?人の移動が菌を運び感染源になることはわかっています。これらをどう防止するためにどのようにしくみ化したのでしょうか、変異株流入防止の観点から海外から人の流入防止を強化しなかったのは何故?医療体制・検査態勢をどの程度整備・充実したのか?ワクチンの国内生産工場の建設のニュースも3月になってやっと出てきたのは何故?など数値を下げ、維持していくための方策がもう出ても良いだけの情報・知見は集まっているはずです。もっと「具体的に、組織横断的に」対応して方策を打ち出せばもっと安心感が出て国民の協力・支持も得られるはずです。

 安全活動でも「災害ゼロ」だけを打ち出し、人に頼った活動に重点を置いているだけでは良くならないのが現状です。新型コロナ禍への対応と似ていますし、そうした会社も多く見かけます。私の経験から考えるとトップが数値目標だけをいくら掲げ、精神論だけを何回言っても、一人ひとりが自分自身のこととして考えるようにはならず、人ごとになってしまいます。腹落ちする、より具体的で具体性のある表現をして、活動を継続していかねばならないのです。もっと深く考えようということです。

(3)「緊急事態宣言」の発令から考える

 「新型コロナ対応としての”緊急事態宣言”」は何度も出すことではないと私は思います。俗に言われる「宣言慣れ」がでて、効果が薄れるからです。今回の宣言は、「飲食店の営業時間短縮」に重点を置いたことは、重点指向としては良かったと思います。しかし、反省としては、「大人数での会食・会話と人の移動制限」と言うキーワードからするともの足りない点があったことも事実です。良く言われるランチなど昼間の行動に対する対策であり、クラスターに対する追跡調査など体制的にできず、不十分となってしまったこと、またワクチンに対する今後の日本としての施策をどうするのか?等々があると思います。これらの点を今回の宣言下で反省として今後どうしていくのかを考えねばならないと思います。

 私が安全衛生スタッフを担当している時代に、重篤な災害が連続して発生したとき「非常事態宣言」を出して全社展開したことがありますが、一度だけです。その後も内容は違っても、災害が連続して発生したこともありますが二度と出しませんでした。一回目に何をすべきか具体的に整理して、しくみ化したこと、それらを浸透させる諸活動を継続していたことで、災害が発生しても「何が足りなかったか」と言う分析から、その都度「具体的な活動の絞り込みと積み重ね」ができるようになったからです。また、過去には「宣言を出すこと」が対策の一つになっていた時代があり、受ける側として「具体性のない宣言」は意味がないというその時の反省を持ち続けていたからです。

 今後、大きな意識改革を求めるためには必要な時もあると思いますが、それまでの良い活動まで「ちゃぶ台返し」しないこと、「具体性のある活動」に留意した展開が望まれます。

2.3~5年先のありたい姿を持ち活動

 私の30才代は、労働組合の専従執行委員として活動をした時代です。極論を言えば、会社で技術者として設備設計・導入等をしていただけでは得られない多くの経験をして、その後の安全衛生スタッフとしてまた、管理者、設備メーカの役員として業務を遂行する上での基礎がつくられた時代だったと思っています。今でも組合からの講演依頼もありますが、企業のスタッフに話す時より力が入っている自分がいます。執行委員の大変さを知っていること、組合の果たす役割が大きくなっていることから、エールを送る気持ちが強くなります。機会があれば、組合の役割と責任について触れたいと思います。

 執行委員に成り立ての頃、当時の委員長に言われたことは「目先の課題対応も大切だが、それは会社がやる。我々は、3~5年先、できれば10年先を見て”ありたい姿”を持ち会社に提言していくことが大切な仕事だ」「そのために社会情勢をよく勉強して、組合員の声に耳を傾けることが大切だ」と。委員長の教えを元に会社に対して、多くの提言をしました。会社も反対することも多かったのですが、時代が進むにつれ、多くの事が当たり前に実施される世界になったことを体験してきたことは私にとって大きな財産になっています。どのような組織にも、チェック機構であり、提言機構が必要だということだと思います。(コロナ禍対応でも随所に必要性を感じます)

 平成時代の大企業の品質問題、内部告発でしか問題解決できない事案が多かったことを”平成の負の遺産”といっていますが、現場の人たちがおかしいと思っていることが、上に上がっていかない組織は「命を守る安全活動」にとってもマイナスでしかないのです。労働組合が果たす役割も大きいのです。職場で相互にサポートし合える、何でも言い合える人と職場づくりを「誰も反対しない”命を守る”安全活動」を通じてつくりあげて欲しいと思います。

 現場(国民)の顔色を伺うのではなく、現場(国民)の気持ちを汲んで先を見た行動、後々「あの時の判断は流石だったな」と思ってもらえるリーダーシップを期待したいものです。

 

 新型コロナ禍から考える3回目になりました。自分達一人ひとりができることはしっかりやることには変わりはありません。また、収束しても全てが従来通りに戻ることはないかもしれません。宇宙船「地球号」の将来にとって大事な時期なのだろうと思います。見えない敵との戦いは、地球規模でこれからも続くと考え、英知を結集して立ち向かうことが必要と考えます。皆さんのご健闘とご健勝を祈ります。

 

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