2016年11月16日更新リスクを取ってこそ、安全は生まれる
先ごろ、電通の新入社員が過重労働を苦にして飛び降り自殺するという、何とも痛ましい事件が起きてしまいました。聞けば、その女性社員は幼いころに両親が離婚、女手ひとつで育ててくれた母親に少しでも恩返しがしたい、とお金のかかる塾にも通わず独学で猛勉強して東大に合格、卒業後電通に入社したそうです。
ところが、配属された部署はハードワークで知られる同社でもいわくつきの激務で、6割が休日出勤したり、ほとんどが朝4時退勤など、常軌を逸した長時間労働が当然のごとく行われていました。
彼女のSNSには、長時間労働以外にも上司からのハラスメント被害に遭っていた記述がありました。そんな閉塞した環境でで疲弊し、正常な思考さえ困難になってしまったのでしょう。2015年のクリスマスに、彼女は社員寮の4階から身を投げ、24歳の若さで人生を終えてしまったのです。
果たして、電通には労働基準局の強制捜査が入り、同社の慢性的な長時間労働は国民の関心事になったのですが、広告業界の知人によれば「劣悪な労働慣行は、この業界全体に蔓延する職業病」とのことで、悲しいことに電通に限った話ではないようです。
広告主の絶対的地位が広告代理店を通じて、その下請け・孫請けにまで影響を及ぼす結果として、金曜夜の「これ来週月曜日までにやっといて」、前日夜に「明日朝までによろしく」などの「依頼(=命令)」が下ることは日常茶飯事とのこと。しかも、広告主は必ずしも仕事の質を優先してくれるわけではなく、広告代理店との人間関係を重視する傾向が強いため、必然的に顧客や仕事を失いたくない中小下請け企業が、代理店の機嫌を損ねないよう安値できつい仕事を受注し、割を食う構図が出来上がってしまっています。
日本の国内総広告費は約6兆円、そのうち電通は4分の1強に当たる1兆5600億円を占めるダントツの1位。2位博報堂の2倍以上で、2位以下8位まで足してやっと追いつくほどの、まさに巨人です。特にテレビ広告では圧倒的で、実に国内市場1兆5千億円の45%近くを占めており、テレビ番組は電通抜きでは成立しません。
これだけ強いと、もはや電通に物申せる存在は(建前は別として)下請けどころか広告主でさえ見当たらないでしょう。この状況下で、電通の不祥事が連日テレビで報道されていることが不思議なくらいです。
その強い電通が過重労働で批判されることはもちろん意味のあることなのですが、前述の通り過重労働は広告業界全体を覆う闇であり、電通だけを是正しても本質的な改善にはつながらない、という指摘があります。下請法の運用に際しては経産省が「広告業界における下請け適正取引等の推進のためのガイドライン」という文書を出しています。
逆に言えば、国がガイドラインを出す必要があるほど、親事業者の下請企業に対する不公正な取引が横行している、ということでもあります。下請法には罰則もあり、親事業者は実名公表の上、処罰されるのですが、それでも広告業界の劣悪な環境はなくなっていません。罰されてもやめられないほど、商慣行が根強いことになります。
大元をたどれば広告主の無理な要求を許してきた慣行があり、そこに踏み込まない限り解決しないわけです。また、PCさえあればどこでも仕事できる環境では、たとえ在社時間を絞ったところで自宅持ち帰り勤務が増えるだけになってしまいます。
そして、本当の根本原因は、実は我々消費者にあります。消費者が広告を重視する、つまり広告によって購買活動を行う傾向が強いからこそ、企業は広告に力を入れます。
テレビ広告は1兆5千億円と申し上げましたが、この金額は対象商品の価値とは何の関係もありません。ただテレビで「知らしめる」ことに1兆5千億円が使われている、ということです。結果的にニュースやバラエティなどの番組制作に使われていますが、消費者はそれらに価値を感じてお金を払うわけではありません。
テレビにとっても、第一優先は広告主。他の国では見られない、駅前で配られる無料のティッシュも、日本では効果があるから広告主がつくのです。その広告料は、広告を見て我々が買う時に払う商品対価から払われています。我々消費者も、決して無関係ではいられないはずです。
今回の電通の件では、巨大な広告市場規模とその悪しき商慣行の犠牲者が出てしまいました。電通は誹りを免れませんが、電通を批判しても問題は解決しません。利害関係者は、テレビ局、広告代理店、広告主、そして消費者なのですから。
誰かが「このままでいいのだろうか?」と自問し、慣行を断ち切る勇気を発揮しなければならないのです。慣行通りにやっていればリスクは少ないでしょうが、実は得られるものも少ないのです。
電通の営業利益率は2015年3月期で2.84%、決して高いとは言えません。今回を契機に、業務量を減らして、一時的には売上を落としてでも、労働集約型→付加価値創造型へ転換し、規模を追わず価値を追うことを宣言して、実行に移す必要があります。なぜなら、広告業界は現在激変期を迎えているからです。
以前は圧倒的だったテレビ広告は年々減少し、広告主との契約も値段の高い「タイムCM」、つまり時刻指定で入れる広告は大手を中心に大幅に減り、現在はほとんどが「スポットCM」、空いた時間に不定期に入るものとなっています。視聴者の好みが多様化した結果、番組視聴率がまんべんなく低下し、広告主がどの番組でどの顧客を狙うかが見通せなくなってきたからです。
今のテレビCMは、その中でもあえてテレビを見る「層」に向けたもの。大手ではない企業の広告が増えてきたのは、単価が下がったからです。いまだ1兆円超の規模はあるものの、このままではジリ貧です。
そんな視聴者減少に歯止めをかけるべく、総務省はテレビ番組のインターネット同時配信を2019年にも解禁する方針を固めました。テレビがスマホでも見られるようになる一方、PCやスマホでテレビをつけっぱなしにする人はほとんどいないでしょうから、ネット配信によってテレビ広告は激減する恐れがあります。
もはや商品の情報は「流れてくるのを待つ」ものではなく、「興味を持って取りに行く」ものへと変わりました。SNS広告が増えることはあっても、テレビ広告が増えることはないでしょう。電通の不祥事が報道されるようになったこと自体、以前はありえなかったという意見も聞かれます。
今回電通で起きた悲劇は、広告業界に対して業態転換を迫る、まさに警告です。広告代理店はネットへの移行が急務であり、GoogleやFacebookを向こうに回して戦う戦略が必要です。広告主は、広告代理店を通さず自社でコンテンツ業者を探し、「より人にやさしい広告」、もっといえば「広告をやめる」を目指すことが、コストだけでなく社会的にも歓迎されるでしょう。
そして、それらの利害関係者にお金を払っている我々消費者は、広告に対してお金を払うのか、それともモノやサービスの価値に対して払うのか。判断が求められます。
環境が大きく変化するときは、多くの場合リスクを取ることがむしろ安全につながります。それに、みなさんの人生は判断の連続ですよね? そのたびに小さいながらもリスクを取っているのです。環境が速く大きく変わる現代では、変えないリスクは変わるリスクより大きくなっているかもしれません。
電通は過重労働を改めるため、10月24日から22時全館消灯を導入、実際にそれ以降は顧客からの電話も断っているそうです。仕事を断るのは商売上のリスクですが、そうしなければ残業が減っても仕事は減りません。少なくとも今回、電通は商売のリスクよりも社員の安全を優先する決断をしました。
リスクを取って残業に頼らない真に強い企業を目指す。ダントツのリーダー企業である電通のチャレンジが、広告業界全体の安全確保につながることを心から期待します。
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