ピルツジャパンのブログ「裏ピルツ新聞」

2018年2月21日更新あなたの知らないアメリカ

今回、当ブログの人気コンテンツ「あなたの知らないドイツ」のスピンオフをお届けしたいと思います。とはいえ、ドイツととても繋がりの深い人々の話です。

みなさんは「アメリカ」と聞いて、どのようなイメージを思い浮かべますか?

経済大国、自動車社会、ホワイトハウス、ニューヨークの摩天楼、映画や音楽などのエンターテイメント王国、メジャーリーグ、はたまたハンバーガーにピザ・・・

・・・まだまだあると思いますが、これらのイメージとは大きく異なる世界が、あのアメリカには中西部を中心に存在しています。

その世界で暮らす人たちとは、Amish(アーミッシュ)と呼ばれる、今でも18世紀の衣装を身に付け、自動車や電気など現代のテクノロジーを使わずに、近代以前の自給自足の暮らしを続けているドイツ系移民の人たちです。彼らは、「プレーン(質素な、飾り気のない、シンプルな)」な田舎暮らしを大切にしています。

私がアメリカ、オハイオ州で留学していた頃(1999~2002年)、アーミッシュの人々を実際に見かけることがありました。そのほとんどが移動中の彼らで、直接接したわけではないのですが、当時、語学学校でアーミッシュについて習った際の資料(※)と自分の経験をもとに、皆さんにアーミッシュの世界をご紹介したいと思います。初めて知るという方には、これまでのアメリカに対するイメージが変わるかもしれません。

アーミッシュの人々がアメリカへ移り住んだきっかけ

もともと彼らはドイツとスイスに住んでいました。しかし、当時のヨーロッパでは、ローマカトリック教会がキリスト教徒を迫害していました。その迫害から逃れ、信仰の自由を求めるため、アーミッシュの人々は1700年代初期にアメリカへやってきて、ペンシルバニア州に移り住みました。

いまはアメリカのどの辺に住んでいるの?

アメリカ中西部を中心に、最初に入植したペンシルバニア州、そしてオハイオ州とインディアナ州の3つの州に、アメリカに住むアーミッシュの6割を超す人々が暮らしています。私が留学していた当時は、オハイオ州に一番多く住んでいると言われていましたが、Wikipediaによると、2010年にはペンシルバニアが一番となり、今も引き続きそのようになっています。

2017年の時点で、ペンシルバニア州に7.42万人、オハイオ州に7.38万人、インディアナ州に5.31万人、全米では318,400人のアーミッシュが住んでいて、その人口は増加の一途をたどっています。

われわれの生活様式とはどうちがうの?

アーミッシュの人たちは、電気を使わず、自動車にも乗りません。移動手段はbuggy(バギー)と呼ばれる馬車です。低速で走る(農業用や建設作業用などの)車両につける赤い三角マークを後方部に付け、バギーも公道を走ります。もちろん自動車のような速度は出ませんので、バギーの後ろには自動車が連ってしまい、ちょっとした渋滞状態になっているのを、私もよく見かけました。

アーミッシュの人々は、たとえ自分達の身を守り、土地を守るためでも銃を使わず、夜でも家には施錠をしません。仮に泥棒に入られても、追いかけることもしません。現代社会では当たり前のテクノロジーや道具を使わずに、生活が楽になる利便性も求めず、農業を糧にした質素な暮らしを送っています。

そもそも、なぜ今でも変わらぬ暮らしが保てているの?

彼らの聖書の解釈により、外の世界は邪悪と悪事で満ちていて、神がそれらとの分離を要求していると信じています。そのため、社会的にも、政治的にも、宗教的にも、他の社会を避けて生活をしています。映画を観に行くことや、飲み屋に行くなどの、われわれが楽しむような娯楽もしません。

アーミッシュの世界での最高権威は教会です。教会が「Ordnung(ドイツ語での”規律”)」というルールを作り、アーミッシュの生活の全てを決めています。許されている格好や生活様式、結婚の仕方、礼拝の伝統、そして、そのコミュニティに取り入れてよい現代社会の便利なものまで。

各教会の地区には教父がいて、教父たちがそのコミュニティのルールを決めます。そこのリーダーの意見によっては、他のコミュニティよりも「現代寄り」になることもあります。このルールは一度決められると、そうそう変わることはなく、変わるとしてもすごく時間がかかります。

ルールに従わないとどうなる?

Shunning(避けること)という究極の罰を受けます。これは誰からも避けられる、いわゆる「村八分」の状態です。話しかけることも、一緒に食事をすることも、ビジネスをすることも、その人と何することも許されません。

再びコミュニティに受け入れられるには、その人がやり方を変え、許しを請い、コミュニティから満場一致で許しを得る必要があります。さもなくば、この罰は一生続きます。アーミッシュの世界から去る人も中にはいますが、ほとんどの人が彼らに用意されたこの厳格な生き方に従います。

アーミッシュ以外の人は、みな「ヤンキース」「イングリッシュ」です

われわれ外の世界の人のことをまとめて「ヤンキース」や「イングリッシュ」と呼び、接触を避けています。当時、アメリカにいたアーミッシュ以外の人々は英国人だったため、そのような総称となり、それがずっと続いているわけです。彼らは外の社会を避けて暮らしていますが、ビジネスを行うことだけは許されていて、スーパーで買い物をしたり、自分たちが作ったものを売ったりすることはできます。

私がアーミッシュの人たちを見かけたのも、ほとんどがスーパーでした。バギーは黒の屋形で覆われているものが多く、公道で見かけても乗っている人の顔までは見えにくいのです。私も彼らを尊重して、じっくり見ないようにしていたところもありますが、顔までちゃんと見られたことは数える程度でした。

たしかに、彼らは外界との接点を避けるべく振る舞っていました。男の人の表情は怒っているように見え、子供たちは警戒心でいっぱいの表情でした。アーミッシュのことを習うまで何も知らなかった私は、初めて彼らとすれ違った時に、いつもの要領で挨拶してしまいました。アメリカ(の田舎)では、道行く人とは誰とでも、笑顔で「Hi」と挨拶を交わします。

結局、怒った顔のまま無視されたので、びっくりしたのを覚えています。ですが、アーミッシュの人々は、怒っているわけではなく、感情を表に出さないだけのようです。写真を撮られることも嫌います。後から彼らのことを知り、それ以降は彼らの考えを尊重して、距離をとるようにしました。

私の中で印象的だったのは、アーミッシュの人たちは肌がとても白く、頬は薄ピンク、農作業で日焼けをしていても良さそうなのに、とてもキレイだったということです。お化粧やジャンクフードなどのお肌に良くないものとは無縁の生活を送っているところも大きいだろうと思いますが、移民してきた当時の血が受け継がれているからだろうなとも思いました。私がいたのはオハイオ州の田舎町で、周りのアメリカ人はほとんどが白人でしたが、そのほとんどの人が混血なのだと気づかされたくらい、アーミッシュの人たちはとても白いお肌をしていました。

どういう家に住んでいるの?

彼らの家には鏡はなく、写真を飾ったり、壁紙やレースのカーテンなどで装飾することもしません。部屋を塗るのは1色のみ。床もむき出し、もしくは質素に覆うだけです。台所も、我々が使うような現代のテクノロジーによる家電があるわけではありません。そもそも電気がなければ使えませんね。彼らの台所はいつも清潔で、キチンと整頓されています。家の周りの柵もまっすぐ、お庭もいつも整頓されています。

服装や髪形などは?

男性は青、黒、またはグレーの作業着を着ています。白いシャツの上に黒いベストを着ます。ネクタイなし、ボタンもジッパーもなし、皮のベルトも付けません。懐中時計はOKですが、腕時計は許されていません。

女性は、暗いカラー1色だけのドレスを着ます。絵柄、花柄、縞模様、色がミッスクしたものもダメです。ボタン、ジッパー、安全ピン、襟、ちょう結びもダメです。

「質素さ」が一番のテーマです。

男性は口髭だけ剃ることができ、顎ひげ・頬ひげ髭の長さはグループごとに定められています。保守的なグループほど、髭が長い特徴があります。帽子の大きさや縁の長さが、男性のステータスを表しています。宗教的リーダーは、高くて丸く、コミュニティ内で一番縁の長い帽子を被ります。

女性は髪の毛を切ることも、カールをかけることも許されず、髪を垂らしておくことも許されません。髪は丸めて、首の後ろでシンプルに結び、ピンで留められます。成人の女性は、頭を覆わずに姿を見せることはなく、白いお祈りのネット帽を髪の上から被ったり、時々、黒いボンネットを被ったりします。

どんな仕事をしているの?

仕事は農業か、それに関連する仕事に就くことが、彼らの教義により定められています。土壌で働くことは、その人を神に近づけ、そして身体を使った重労働は良いことだという考えがあるからです。もちろんトラクターなど使わず、人と動物の力だけで行います。

アーミッシュの世界では家族が中心で、農業を家族みんなで行うことは、家族をつなぎ、世の中の誘惑から離れることにも役立ちます。

家の長は父親で、すべての決定権を父親が持っています。ただ、仕事(農業)に関することを決めるときには、子供たちも参加させ、将来子供たちが独立した農家になれるように子育てしていきます。

女性は、家事のすべてと育児を行います。収穫の時期には外での農業の仕事も手伝いますので、女性の仕事はとてもたくさんあります。アーミッシュの世界の中では女性は従う側にあり、そして多くの子供(通常8人から12人)を産むことで尊敬されます。家族で農業を行うアーミッシュの人々にとって、子供は神からの贈り物であり、経済的な資産でもあるのです。

アーミッシュの人は学校に行くの?

外の世界にある、いわゆる我々が通うような街の学校には行きません。彼らは自分達で独自の学び舎を建てて、異なる年齢で異なるレベルの子供たちが、一つの大きな部屋で一緒に、一人の先生から学びます。

どんなビジネスでも数学は重要であるように、効率よく農業を行うためにも彼らは数学を学びます。そして聖書を理解するための読みと、外の世界の人とコミュニケーションするために言語を学ぶことも彼らには大事です。

子供たちには、8年生もしくは14歳になるまで学校に通わせれば良いと考えています。彼らが知るべきもっと重要なことは、親やコミュニティの大人たちから学びます。父親そして祖父以上に物事を知る必要はなく、彼らにとって「より知ることは、より混乱すること」なのです。

どんな言葉を話すの?

家では「ペンシルバニア・ダッチ(ペンシルバニア ドイツ語)」という、ドイツ語の方言を話します。「ダッチ」と言ってもオランダ語という意味ではなく、”ドイツ語”や”ドイツ人”という意味のドイツ語(ドイッチェ)が聞き間違えられて、そう呼ばれるようになったそうです。

子供たちは学校で、ドイツ語の聖書を理解できるように、正式なドイツ語を習います。そして外の世界の人々(=われわれイングリッシュ)と会話ができるように英語も習います。

アーミッシュの人が英語を話す時、ペンシルバニア・ダッチの表現を英訳した言葉(英語では使わない言い回し)を使ってしまったり、ドイツ語の語順になってしまったりすることがあるとか。例えば・・・

The milk is all gone. 「ミルクが全部なくなりました」
 → The milk is all.「ミルクがすっかりです」

Throw Papa’s hat down the stairs.「下の階にパパの帽子を投げて」
 → Throw Papa down the stairs his hat.「下の階に彼の帽子にパパを投げて」

ドイツ語の文法が分かる人には、こんな語順になってしまう気持ちがよく分かるかもしれませんね。ドイツ語ではなくても、私の英語も日本語の文法と混ざり、変な英語になってしまうこと、よく身に覚えがありますから。。

アーミッシュの人たちの団結

彼らは、この現世において制約と苦労は必要だと信じています。しいては、この世での負担と制限が大きいほど、来世での神からの恵みが大きくなると強く信じています。彼らの厳しいルールは、外からの侵入者から彼らを守るだけでなく、アーミッシュの人々に団結を与えます。

同じ格好、同じ暮らし方、同じ習慣、共通の目的や信念を持つ、といった共感と団結、そして必要な時の助け合いがあるからこそ、彼らは現代でも生き残ることができるのです。

アーミッシュの家の建て方

私がアーミッシュの人々の団結力がとても表われていると思うのが、アーミッシュの家の建て方です。

新しい家や納屋が必要になった時、アーミッシュではコミュニティの全員がその建築に協力します。大工たちが材木を必要なサイズにカットし、そのコミュニティの皆で一緒に建てます。年上の男性たちが建造物を組み立てるためのチームとなって、その工程を若者に教えながら作業をします。女性はというと、大量の食事を用意し、テーブルをセットして、作業で空腹になった男性たちに食事を出します。

皆は順番に食事をとるのですが、まずは年上の男性、次に若い男性、最後に女性と子供たちです。食事の後は、男性は建築作業に戻り、女性は片付けて家に帰ります。沢山の人が一緒に作業するため、大きな建物もとても早く完成します。

アーミッシュの人たちがつくる製品は人気です

アーミッシュカントリーと呼ばれる、われわれ観光客が訪れることができる場所があり、そこにあるお店やマーケットでアーミッシュ製品を買う事ができます。中には、アーミッシュとはあまり関係のないカントリー雑貨のお店やアンティークショップがあったりもしますが、そのエリア一帯は、アメリカの美しい田園風景が広がっているので、とてもお勧めの観光スポットです。

アーミッシュ料理(レシピ)や彼らが作る製品は、手間をかけて手作りされるため、そのクオリティの高さから人気の品となっています。アーミッシュ料理は、アーミッシュ料理を出しているレストランで味わうことができます。手作りジャムやパイが美味しいと皆が言っていました。私は訪れる度にアイスクリームを食べるのが楽しみで、それはアーミッシュの男の子が店番をやっていて、大量にすくったアイスクリームを、コーンから落っこちそうなくらいに乗っけてくれるお店があったからです。しかも値段も1ドルちょっとと、すごく安くて感激でした。

野菜や牧畜製品(牛乳、チーズ、卵など)の他にも、テーブルや椅子などの家具や、アーミッシュの女性たちがつくるアーミッシュキルトも有名です。

日本にあるアーミッシュにゆかりのあるお店

実は、アーミッシュとゆかりのあるお店が日本にはありまして、しかも日本全国に軒を構える有名なお店です。それは「ステラおばさんのクッキ―」です。創始者は、アーミッシュである彼の叔母の美味しいクッキーを日本に広めるべくお店を開いたそうです。私は数年前にステラおばさんのクッキー食べ放題を堪能した時に、お店のウェブサイトでこのことを知りました。まさか昔からよく食べていたクッキーが、あのアメリカの田舎の奥地まで行かないと出会えないアーミッシュレシピのクッキーだったとは、懐かしさで驚きも2倍でした。

公式サイトの方では、アーミッシュに関するページが用意されています。ご興味ありましたらご覧になってみてください:
 ステラおばさん ”アーミッシュのお話
 ステラおばさんの故郷 ”ペンシルバニア・ダッチカントリーとは

ちなみに、メノナイトという人たちもいます

ステラおばさんについて”のページでは、ステラおばさんがパステルカラーの服を着ていますが、私がオハイオで見かけたアーミッシュの人々は、みな黒い服を着ていました。

ここで思い出したのが、「メノナイト」と呼ばれる、オハイオでよく見かけた人たちのことです。彼らもアーミッシュのような格好をしているのですが、着ている服の色はパステルカラーで、その表情は明るく、雰囲気がカジュアルでした。レストランで見かけたり、車から降りるところを見かけたり、当時聞いた話では「アーミッシュほど厳しくない」宗教団体とのこと。アーミッシュはもともと、メノナイトから分派した人たちだったそうです。メノナイトもアーミッシュと似たような生活様式や習慣があるのでしょうが、私がオハイオで見かけた様子では、メノナイトの人々は現代社会に溶け込んでいるという印象でした。

こちらの映画、ご覧になった方も多いかもしれませんね

昔、地上波でもやっていました、1985年のハリソン・フォード主演の映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」。刑事ものサスペンス映画ですが、ヒューマンドラマ要素も強い、アカデミー賞2部門受賞の作品です。

(English Wikipedia, “Witness (1985 film)”より)

映画のタイトルにある「目撃者」とは、アーミッシュの少年です。家の中に鏡があるなど、少々の映画上の演出はありますが、アーミッシュの世界をけっこう忠実に描いている作品とのことで、彼らの世界を垣間見るにはもってこいだと思います。

アーミッシュの人たちの強み

私がアーミッシュの世界を知ってから、15年以上が経ちました。アーミッシュの人口は、2000年当時の人口(16.6万人)から、すでに倍近く増えています。

この現代社会では、ともすると、消費を好み、積極性や派手さを求め、そして個人主義的なところがあると思いませんか?そして、自然を壊したり、武器を使ったり、侵略的な行為がいつもどこかで繰り広げられていると思いますが、アーミッシュの世界は、それらとは真逆の要素で満ちています。非暴力で慎ましく、シンプルそして質素が大事、電気も使わない。家族が中心、そしてコミュニティの団結と助け合いで人生を送っています。

(昔の日本にも、エコな暮らし方や、家族とのつながり、地域での助け合いなどが今よりもありましたよね。あれから社会は様変わりしましたが。)

今ではインターネットが更に発展、スマホが普及し、もしかしたら”現代寄りアーミッシュ”の人々には、いくらか影響や変化があったかもしれません。それでも彼らはこれからもずっと、彼らの強い団結と助け合いで、昔ながらの生活を続けていくことでしょう。

<参考>
※ 以下の文献を基に書かれた「THE AMISH」という資料
Our Amish Neighbors, William I. Schreiber, University of Chicago
   Press, Chicago, 1962
Amish People: Plain Living in a Complex World, Carolyn Mayer,
  Atheneum, N.Y., 1978

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