2021年12月13日更新村上春樹ライブラリー
先月、有給を取って、早稲田大学国際文学館(通称、村上春樹ライブラリー)に行きました。私(杉原)は、世間で言う「ハルキスト」であり、大学生の時からもう30年以上、彼の作品を読み続け、途中、本が全く読めない時期もありましたが、今でも新作が出る度に読んでいます。アメリカから帰国する際、持ち帰れなかった村上本は再度購入したものも多数あります。なので、このライブラリーが、村上さんの出身校である早稲田大学に開設されると知ったときは、大興奮でした。たまたま同大学に通う息子に、いつ開設されるのか、まだなのか、としつこく聞いて嫌がられました。今年の文学部の入学式に、村上氏が登壇のニュースが出た時は、文学部の入学生やその親御さんを羨ましく思ったことでした。
数年前からライブラリー開設で盛り上がっていたのですが、しばらく気を抜いていたら、いつの間にか出遅れてしまいました。ライブラリーはすでにオープンし、オープン記念の特集記事が掲載された雑誌も入手困難、いざライブラリーを見に行こうと思っても、予約がいっぱいという状況だったのです。しかし、諦めるわけにはいかないので、ネットであらゆる情報を収集し、雑誌はなんとか上下巻ともに購入、ライブラリーも1ヵ月前の予約開始と同時にオンラインで申し込みました。
予約当日、15分前に現地に到着すると韓国人女性2人組がすでに少し離れた場所で待機していましたが、私は早速、列の先頭に並びました。韓国人グループは、まだ開かれていない入口のドアまでスタッフに何か質問に行った後、列の後ろに並び、その後、予約していた人が少しずつ並びはじめ、振り返ると列が大分長くなっていました。予約は各回30名で1時間半で入れ替えです。予約がないと入場できないので、注意が必要です。列に並ぶとまずスタッフからゲストの札を配られ、入館中はその札を首からかけるよう指示があります。
定刻通り、ドアが開かれると、館内には、村上さんの好きなジャズが流れていました。私と韓国人グループはエレベーターで2階に直行。なぜか他の人は乗りませんでした。不思議に思っていたら、2階は村上春樹関連のものはほとんどなく、ライブラリーの設計者である隈研吾氏の設計図やモデルなどがメインだったことがわかりました。(雑誌の記事で予習したはずなのに、詰めが甘かったですね。)2階の展示で、このライブラリーの設計ではエントランスや内部にしつらえた「トンネル」が重要な役割を果たしていることを学習しました。隈研吾さん曰く、村上さんの作品を分析すると、別世界へ入るための「トンネル」構造の作品が多いので「トンネル」をモチーフにしたとのこと。
2階から1階に降りる階段の左右と上方には、前述のアーチを描くトンネルがあり、そのトンネルの下の部分は、左右両側が本棚になっています。村上作品では、そう言えば、階段も別世界へ移動するための入り口になっていますね(「1Q84」、「図書館奇譚」など)。本棚には国際文学館の所有する数多くの文献が、芸術作品のように展示されています。思わず手に取ってみたくなるような演出効果があり、隈研吾さんのデザインの素晴らしさに感銘を受けながら、1階へと移動しました。
階段を下りると、そこにはムラカミ・ワールドが広がっていました。世界中で出版された村上さんの本、本、本。村上さんの書斎やオーディオセット(を再現した展示)、村上さんが学生の頃経営していたジャズ喫茶「ピーターキャット」で使用されていたグランドビアノ。ピアノは本物だそうです。ファンにとっては、ため息が出るものばかり。実際、あちらからも、こちらからも感嘆の声が聞こえてきました。(もちろん、コロナに配慮し、大声を出す人はいませんでしたが…)館内は動画の撮影は禁止されていますが、写真撮影は自由なので、ほとんどの人はスマホやカメラで撮影していました。
私は、初期の作品がとても懐かしくなり、早速「カンガルー日和」を手に取って、長テーブルで短編を何話か読むことにしました。もう一人別の年配の女性が先に何かを読んでいたので、私もそれに倣って、せっかくなのでその場で読書タイムにすることに。「カンガルー日和」は私が大学生の時、帰省中に、初めて購入した村上作品なので、とても懐かしく、当時を思い出しました。佐々木マキさんのポップな挿絵に惹かれて書店で手に取り、パラパラとページをめくって流し読みしたら、当時の私にグッとくる何かがあり、すぐに購入しました。アメリカの作家の作品の翻訳本だと言われても信じられるような、カラっとした明るさが良かったのだと記憶しています。携帯もインターネットもない時代に書かれた作品ですが、今読んでも、全く古さを感じることはありませんでした。それらが作品に登場しないだけで、なければ、きっとそんな風だよね、と納得できます。
正直な話、当時は、村上春樹さんがここまで有名になり、毎年ノーベル文学賞にノミネートされるほどのお方になるとは想像していませんでした。私はそれから初期三部作と呼ばれる「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」などを読み漁り、村上ワールドにハマって行くわけですが、日本で本格的に注目され始めたのは、「ノルウェーの森」からだと思います。発売当初、アメリカの紀伊国屋書店では入荷待ちの状況で、いつ入るかわからないと言われ、仕方なく、高知の母に頼んで送ってもらうことにしました。しかし、いつもは本など読まない母が、この時に限って自分も読みたいと言い出し、結局すぐには手に入りませんでした。それだけこの作品が、当時の日本で話題だったという事でしょう。
私はもちろん評論家ではありませんが、村上さんの作品が世界中で、同年代にも、今を生きる若い人にも受け入れられているのは、時代遅れでない普遍的な何かが彼の作品にあるからだと思います。彼の描く登場人物にどこかしら自分を重ねてみたり、あー、こんなことあるある、と共感してみたり。村上さんお得意の空想と現実が入り混じる世界に自分も入り込んで、登場人物に感情移入してしまったり…実は偶然、いつもお世話になっている美容院の店長さん(30代男性)がこの7月から村上作品を読み始め、ハルキストへの道を歩んでいることを知りました。少し前に見に行った村上さん原作の映画「ドライブ・マイ・カー」でも、観客の中に、春樹世代の人はもちろん、若い人も少なからず見かけました。
もう1つの村上作品の大きな魅力は、作品中に登場する音楽です。学生時代からジャズ喫茶の経営、ジャズやクラシックレコードの収集を続けている村上さんの作品には、必ずと言っていいほど、音楽が登場します。音楽は作品の肝となる場合も、単なるバックグラウンド・ミュージックの場合もあります。「ノルウェーの森」は作品のタイトルともなったビートルズの楽曲。「1Q84」ではヤナーチェクの「シンフォニエッタ」。2017年の長編「騎士団長殺し」ではシュトラウスの「ばらの騎士」など。いずれもそれほどメジャーな曲ではありませんが、作品の発売と同時に脚光を浴びました。登場する音楽はジャズ、クラシック、ポップ、ロックと幅広く、1作品に多数の曲が登場することも多々あります。この音楽が登場人物の性質や、情景のイメージを膨らませ、作品をより豊かで味わい深いものにしているのです。
さて、ライブラリーの方ですが、スタッフの方がお約束通り、1時間半後に、カフェ「橙猫(オレンジキャット)」で館内に展示されていた音楽の本を読んでいた私の席まで、ゲストの札を回収に来ました。そして、カフェには閉店時間まで滞在できるけれど、展示エリアは札なしでは戻れないと告げられました。村上作品によく登場するドーナツとコーヒーを注文して待つ間、村上さんの書斎を再現した部屋とオーディオセットの写真を撮りました。本のページをめくりながら、ハンドドリップで学生さんが淹れてくれたコーヒーとホワイトチョコドーナツを窓際の席で最後に楽しみ、ライブラリーを後にしました。
ハルキストならもちろん、村上作品を読んだことのない人も、村上春樹ライブラリーを一度は訪れてみることをお勧めします。村上さんの作品は、長編、短編、エッセイの他、海外文学の翻訳本も多数出版されていますが、このライブラリーに行けば、すべての文献を(海外で出版されたものも含めて)閲覧できます。ただし、資料の貸し出しは行っていないので、気に入った本の続きが読みたければ、図書館か書店などで入手するしかありません。予約は1ヵ月前から開始で、入館は無料です。私は一度では足りないので、きっとまたそのうちお邪魔することでしょう。
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