ピルツジャパンのブログ「月刊 裏ピルツ新聞」

2017年7月19日更新恩師を偲ぶ

最近Facebookの個人アカウントを以前ほど利用しなくなりました。もともと自分から投稿することは滅多にないのですが、たまに友人や知人の近況を知りたくなり、電車の中で開いて見ています。先月、たまたまFBを開いたら、高校時代の友人が懐かしい恩師の情報を投稿していました。先生の個展が故郷の高知で始まったというニュースと、テレビ番組で先生のことが紹介されたというニュースです。それを見て、すぐに「いいね」をクリックしました。

高崎先生(高校の卒業アルバムより)

その恩師とは、私が中学、高校時代に所属していた軽音楽部(当時は「フォークソング同好会」という名前でした)の顧問、高崎元尚(たかさき もとなお)先生です。先生は当時からモダンアートで国際的に活躍されていましたが、生徒からは「なんかよくわからないけど、立体作品とか作っていて、スゴいらしい」くらいにしか理解されていませんでした。私も先生が校庭で何かの立体作品を制作されていたことはぼんやりと覚えていますが、先生の作品を美術館で見たりしたことは一度もありませんでした。今から思うと、もったいないことをしました。

その高崎先生のことを懐かしく思って、個展の情報を調べていたら、いきなり訃報が目に飛び込んできました。先生が折しも個展開催中に亡くなられたのです。94歳と言うご高齢ですから天寿を全うされたのでしょうが、そのニュースは私にとって衝撃でした。その夜は中学、高校時代のことを思い出し、当時の先生の姿が目に焼き付いて眠れなくなってしまいました。たまたま開いたFBがきっかけで先生の個展や訃報に辿り着いたのも運命だと感じ、先生の個展を見に行こうと決心しました。すぐにでも見に行きたかったのですが、家庭の事情で今月末に行く予定です。

高崎先生は、美術の「美」の字も知らない当時の私から見ても、時代の最先端を行く芸術家でした。ある意味、芸術界の坂本竜馬的な存在だったかもしれません。立体作品というジャンル自体、キャンバスに描かれた絵画や彫刻という見慣れた芸術作品とは違う新しいジャンルです。たとえば、「破壊」という作品はハンマーでコンクリートを叩き割るという、なかなか一般人には理解しがたい破天荒なテーマを扱っています。

新しいアイディアや海外の文化に興味津々だった当時の私にとって、先生は憧れの存在でした。先生の芸術作品を完全に理解することはできなかったとしても、固定観念にとらわれない発想力や、世界を舞台に活躍されている姿を拝見して、私もいつかあんな風になりたい、と心のどこかで思った記憶があります(今なら恐れ多くてそんな風には思えないと思いますが、若気の至りです)。

部活の顧問とは言え、高崎先生と部員が話し合うというような機会はほとんどなかったのですが、先生はよく私のバンド「樹里亜」(じゅりあ)の練習を立ち止まって見てくださったことを今でも鮮明に覚えています。先生がいらっしゃった美術室の隣の技術室や周辺の廊下で、私たちはほぼ毎日練習していました。学園祭の前は体育館のステージで通し練習をしていたのですが、先生は遥か遠くからほぼ全曲歌い終わるまで立ち止まって聞いてくださいました。恥ずかしかったのと同時に、上手くもない私たちの演奏を聞いてくださる先生に励まされました。

中学2年の文化祭(バンド「樹里亜」のメンバーの一部)

また、先生とは思いがけないところでも接点がありました。中学2年のとき、英会話のグループレッスンを受けることになったのですが、そのレッスンで偶然、先生とお会いしたのです。国際的に活動されていた先生ですから、海外での活動のために英語が必要だったのだと思います。そのレッスンの中で、先生のご子息も音楽活動をされていることを聞きました。今でもご子息は医師という職業のかたわら、ジャズピアニストとしても活動されているようです。

高崎先生は単なる一生徒である私のことはとうの昔にお忘れになったことでしょうが、多感な中学・高校時代に、母校で先生にお会いし、先生から刺激を受け、励ましていただいたことは一生忘れません。もうすぐ、先生に作品を通して再開できる日を心待ちにしています。読者のみなさんにもぜひ、後日個展のレポートをさせていただきたいと思います。

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